三河の豪族で家康の祖父。織田家と松平家の間をうまく立ち回り、水野家の領土を守りきる

水野 忠政みずの ただまさ

水野忠政像(名古屋市博物館蔵)

概 要

三河の豪族。徳川家康の生母・於大の方(伝通院)の父。刈谷城を築城したほか、織田家と松平家の間をうまく立ち回り、水野家の領土を守りきった。

 ポイント

  • 三河の豪族・水野家の当主
  • 徳川家康の母・於大の方の父
  • 刈谷城を築城
  • 織田家と松平家の間をうまく立ち回り領土を確保する

誕生・死没

  • 誕生:1493年
  • 死没:1543年
  • 享年:51歳

名 前

  • 牛息丸(幼名)
  • 妙茂(初名)

所 属

親 族

水野清忠
正室 松平昌安の娘
継室 華陽院
側室 多数
兄弟 清重、忠政、元興
女(松平信忠の正室)、女(奥平貞勝の正室)
近守信元 、 於丈の方 、信近
   忠守於大の方松平広忠の正室)
   妙春尼(石川清兼の生室)、女(水野豊信室) 、近信 、忠勝 、 藤助
   屋鍋(中山勝時室)、女(水野忠守室) 、 忠分忠重

略 歴


1493年 0歳  誕 生
1533年 40歳  刈谷城を築城
1543年 51歳  死 没

生 涯

★ 誕 生

 1493年、水野清忠の次男として生まれる。幼名は牛息丸。初名は妙茂と称した。

★ 刈谷城築城

はじめ尾張国の緒川城(愛知県東浦町)を中心として知多半島北部をその支配下においたが、1533年、三河国刈谷に新城(刈谷城)を築いた。

★ 領土の保全確保

織田信秀の西三河進攻に協力しつつ、他方では岡崎城主松平広忠、形原城主松平家広などに娘を嫁がせて、領土の保全を図った。

★ 死 去

1543年7月12日、死去。享年51であった。墓所は愛知県東浦町の乾坤院。法名は長江院殿大渓堅雄大居士。