南部氏の基盤を作った南部家24代当主
南部安信
南部安信 肖像画
ポイント
- 津軽地方などを平定する
- 各主要城に兄弟を配置し南部家の基盤を築く
- 南部晴政の父
誕生・死没
- 誕生:1493年
- 死没:1541年
- 享年:49歳
名 前
- -資料無し-
官職・役職
- -資料無し-
親 族
- 父 :南部政康
- 母 :不明
- 子 :南部安政(晴政)
- 弟 :石川高信
- 弟 :南長義
- 弟 :石亀信房
- 弟 :毛内秀範
略 歴
1493年… | 安信誕生。 |
1524年… | 兄弟3人を動員し津軽地方を平定する。 |
1541年… | 安信死去。 |
安信の資料
南部家の戦国大名としてのきばんを作りあげた安信、しかし実際には安信の功績を記した資料が不足しており、その功績も定かではない。
これは聖寿寺館の放火により南部家の重要資料が多く焼かれた為と思われる。
南部家の基盤
安信は南部家の勢力拡大を目指し積極的に領地を拡大していった。津軽地方の諸城を落とし、津軽地方を制圧した安信は親族を各地方に配置していった。西の安東家対策として、石川城(今の青森県弘前市)に弟の高信を毛馬内城(秋田県鹿角市)に秀範を置いた。さらに南の斬波氏対策として同じく弟の南長義を五戸群(青森県五戸群)、信房には不来方城(岩手県盛岡市)の城代として置いた。このように安信は兄弟を上手く活用し南部家の基礎を築いていった。