大和一向一揆の鎮圧に務め衰退した筒井家を再興した

筒井 順興つつい じゅんこう

ポイント

  • 筒井順尊の子で筒井家当主
  • 衰退していた筒井家を再興する

概 要

大和の豪族・筒井家の当主・筒井順尊の子。大和一向一揆の鎮圧に務め衰退した筒井家を再興した。

基本情報

誕 生1484年
没 年1535年(52歳)(病死)
良舜坊
氏 族筒井氏
主 君畠山稙長
家族構成
筒井順尊
不明
越智家令の娘
順昭順政順国福住順弘十市遠忠室

略 歴

1484年 1歳  畠山順尊の子として誕生
1521年 38歳 
1528年 45歳 
1530年 47歳 
1532年 49歳  大和で一向一揆が発生
1535年 52歳  死去

同じ年の武将

生 涯

1521年、兄・順賢の跡を継いで当主となり、越智氏と和睦してその娘を娶った。
10代将軍・足利義稙が管領・細川高国と仲違いして和泉国を経て淡路島に出奔した後に堺に上陸、畠山尚順畠山義英が呼応して畠山稙長(尚順の子)と戦った時、順興は越智家栄と共に稙長側に参陣、義英軍を打ち破った。
1528年、柳本賢治が大和に侵攻して苦戦を強いられ、さらに1532年に大和で一向一揆が発生、十市遠治や越智氏と協力して鎮圧に努めた(天文の錯乱)。
衰退した筒井氏を再興して大和に勢力を築き、十市氏など周辺の国人領主と縁戚関係を結ぶなどして勢力を拡大していった。