宿敵である越智家を破り筒井家の勢力を拡大する

筒井 順昭つつい じゅんしょう

豊臣秀吉

筒井順昭

ポイント

  • 筒井順興の子で筒井家当主
  • 大和の戦国大名
  • 越智家を破り筒井家の勢力を拡大する

概 要

大和の国衆で戦国大名・筒井家当主。順興の嫡男。はじめ木沢長政と結んで畠山稙長と戦うが、長政の敗死後は稙長と結んだ。越智家を破るなど筒井家の勢力を拡大するが、夭逝した。

基本情報

誕 生1523年
没 年1550年(28歳)(病死)
墓 所圓證寺
幼 名藤松
栄舜坊
氏 族筒井氏
主 君畠山稙長
家族構成
筒井順興
不明
遊佐長教の娘
兄弟順昭順政順国福住順弘、  十市遠忠室
順慶井戸良弘室、慈明寺順国の室、福住順弘の室、他

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略 歴

1523年 1歳  筒井順興の子として誕生
1535年 13歳  家督を継ぐ
1538年 16歳  元服(得度)
1543年 21歳  簀川氏の須川城を攻略
1546年 24歳  越智氏の貝吹山城を攻略し越智氏を滅ぼす
1547年 25歳  十市氏より十市城を受け渡される
1549年 27歳  家督を嫡男・順慶に譲る
1550年 28歳  死去

筒井家の最盛期

1523年、大和国人衆・筒井家順興の子として誕生し、1535年、父が死去すると筒井家の家督を継いだ。

当時、大和は木沢長政の支配下にあったが、1542年、細川晴元稙長に敗れた長政が戦死すると。順昭は河内守護・畠山稙長に属た。
その後、順昭は河内勢1万の軍勢を率いて簀川氏、古市氏を攻め滅ぼし、長年の宿敵であった越智氏を攻めて、貝吹山城を落城させ、東山内と国中周辺の統一を果たし、十市氏より十市城を明け渡され、筒井氏の最盛期を築いた。

 

死 去

1549年、順昭は天然痘患っていたため、生まれたばかりの嫡男・順慶に家督を譲り、比叡山に入った。そしてその翌年の1550年に死去した。
幼少の順慶は、一族の福住宗職や順昭の弟の筒井順政が後見していくことになる。

ことわざ「もとの木阿弥」

順昭は死の間際に一族や重臣を集め、子の順慶への忠誠を誓わせるとともに、自分に容姿(声とも)の似た盲目の法師・木阿弥を身代わりに立てるよう遺言した。
木阿弥は順昭が最期を迎えた奈良の下屋敷で約1年間過ごし、一周忌を迎え順昭の死が公表されると恩賞を受け取り元の法師・黙阿弥に戻ったとされ、これが「元の木阿弥)」の語源といわれる。