筒井順興の三男として甥の順慶を支えた

慈明寺(つつい) 順国じみょうじ(つつい) じゅんこく

ポイント

  • 筒井順興の三男
  • 慈明寺家の養子に入る
  • 兄・筒井順昭の死後、甥の順慶を支えたとされる

概 要

大和の国衆で戦国大名・筒井家当主・順興の三男。大和の国人・慈明寺氏の養子となり慈明寺城の城主となる。兄・筒井順昭の死後は甥 の筒井順慶を支えた。

基本情報

誕 生????年
没 年????年(28歳)(病死)
通 称左門
氏 族筒井氏、慈明寺氏
主 君筒井順興→順慶→筒井定次豊臣秀長
家族構成
筒井順興
不明
筒井順昭の娘
兄弟順昭順政順国福住順弘、  十市遠忠室
定次(筒井家に養子入りし家督を継ぐ)

生 涯

出生年については不明だが、大和の国人で戦国大名であった筒井家当主・筒井順興の三男として誕生した。
その後、大和の国人であった慈明寺氏の養子になり大和国慈明寺城(奈良県橿原市)の城主となり、筒井家の家督を継いだ兄・筒井順昭を支えた。
兄・筒井順昭の死後は他の一族らとともに甥の順慶を支えた。
順国は順昭の娘(順慶の姉)を妻に迎え、後に筒井家に当主となる定次を産んだ。
1585年に定次が伊賀転封を命じられた際、順国は大和に残り、羽柴秀長に仕えたというがその後の消息は不明。