【史料や逸話で知る!戦国武将達の外見や声質】

山本勘助

斉藤義龍

規格外の大柄

斉藤義龍は大柄で有名だった。身長六尺五寸(195センチ)あり、馬に乗っても足が地についてしまうほどであったという。
正座すると膝の厚みが36センチの扇を立ててもまだ拳ひとつ分たりなかったという。規格外の大柄だった。



山本勘助

身長は150センチ


戦国一の不細工

兵法にすぐれ、築城の名人でもあったが勘助の容貌は色黒で容貌醜く、隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかったという。

勘助は初め駿河の今川義元に仕官しようとしたが今川義元は勘助の異形を嫌い召抱えようとはしなかった。
信玄も初めてみた勘助の容貌に驚いたという。



山県昌景

信玄の小男

昌景は腰から上が極端に短く身長が低い上に兎唇だった。しかし、胆力・知略にすぐれ戦場に昌景の姿を見ると敵側は決まって「信玄の小男」と恐れたという。

石田三成

体格

華奢で腺病質(貧弱で貧血気味、虚弱な体質)

細面でひたい・後頭部が出っ張った才槌頭だった

高く鼻筋の通った鼻だった

いまの日本人にないくらいの出っ歯だった(戦国時代では出っ歯が多かった)

身長

156センチ前後で小さかっ。そのため、加藤清正から「背の小さきはんさん者!」と罵られたという



蘇る三成!

1907年(明治40)大徳寺の墓地改装の際に三成の墓が発掘された。墓地には頭蓋骨、大腿骨、上腕骨など1体分の骨が出できた。
その後、京都大学により頭蓋骨をたんねんに繋ぎ合わせて復元し同時に頭蓋骨の石膏模型も作成された。



古記の伝える三成像

史料においての三成は「色白くやせしなり。目大きくまつ毛長し…髪は女のごとし」(淡海古記)とあり、別の史料(名将言行禄)では「三成、美少年にて秀吉の寵愛を得たり」とある。

前田利家

身長182センチ

残された着物から推定

藤堂高虎

身長188センチ

藤堂家の記録より

徳川秀忠

身長157.6cm

四肢骨から推定より