【戦国武将達の「血液型」と「性格」を徹底解剖】

血液型

 織田信長 A型

根 拠

血判や遺髪の鑑定によると「A型」であると言われている。しかし、断定できるほどの確信はない


性 格

・ 冷酷で残忍

信長は戦国時代でも1.2を争うほどの残忍な性格であり殺人鬼でもあった。大量殺戮と残虐行為を繰り返し、職種や老若男女関係なく無数の人が信長によって命を落とした。

・秩序に厳格で短期

ある一人の少女は、信長の部屋にあった果物の皮を捨てなかったため殺され、また、女性をからかった足軽の一人はその場で首をはねられ、あるときは信長の留守に城の外にでて遊んだ侍女多数も命を落とした。このように信長は規律・ルール・規則といった秩序に対して厳格で、不正・怠慢・ごまかしを嫌った。

・能力主義

信長は合理主義で、才能有る者は身分を問わず登用、昇格させた。(秀吉や光秀)しかし、能力が低く役に立たない者は冷酷無情に捨て去った(織田家の旧臣佐久間信守)

・いじめ好き

御前相撲での優勝商品が栗だったり草鞋だったりどうでもいい物だった。中でも光秀に対しては人前で恥をかかせたりプライドを傷つけて楽しんでいたという。

・新しいもの好き

和歌や漢詩などには目を向けず南蛮由来の物への好奇心が旺盛であった。黒人を城に招いたり、ビロードの南蛮笠をかぶったりしていた。

 豊臣秀吉 O型

根 拠

遺品や血判の鑑定によると「O型」であると言われている。


性 格

・ 明るいひょうきんな人たらし

ひょうきな性格で、裏表のない性格で人情に厚いという性格であった

・情に厚く人の心を引き付けた

秀吉は周囲の人々から好かれていた。賤ヶ岳の戦いでは、猛暑に苦しむ負傷兵を気の毒に思い近所の農家から大量の笠をかって敵味方関係なく被せた。こういった行動により秀吉の支持層は増えていった。裏表ない性格で顔が猿ににて愛嬌があり民衆心理をくすぐっていた。また秀吉は「オレほどいい主人はいないのだから謀反をおこす家臣はいない」と自ら言いまわしていたという

・高い自己顕示欲と目立ちたがり屋

秀吉は若い頃から非常に出しゃばりで、目立ちたがり屋であった。チョコチョコと動きまわり、人から何を言われても気にしない性格だったため、気を遣うこともなく自由奔放にやりとおした。

・コンプレックスの塊

秀吉は貧困の生まれで血統が貧しく、容姿もいいとは言えず、無学だった。そのためコンプレックの塊だった可能性がある。その証拠に自身と逆の身分の高い女性を側室に置いた。

・親孝行

・自信家

 徳川家康 不明

根 拠

家康の血液型は不明。遺骨はあるが掘り起こしてはいない


性 格

・ 短気

関が原の戦いの際に戦況が思うようにいかなくなってくると爪を噛んで怒っていたという。

・質素な性格

幼少期と人質として過ごした家康は、人質生活のなかで贅沢を敵とし、我慢の術を覚えた。そのため、好みの女性も秀吉の真逆で幸が薄い女性が多かったという。

・義理固く律儀な男

「金ヶ崎の戦い」で信長の命により秀吉と共に殿軍をつとめた家康。なんとか京に退却し二人だったが、それから1ヶ月後。家康は信長から再び浅井氏討伐のために援軍を要請された。しかし、先の戦いで置き去りにされた事を重臣達は恨み、信長に非協力的な態度を示した。しかし、家康は「誓いは守らなければならない」といって兵を近江に向かわせた。誓いとは信長との間の清須同盟の事で、戦国時代には誓書など何の役にも立たなかったが、家康はけっして破ることは無かった。(1次史料には家康が殿軍をつとめた記録はない)

・執念深い

1579年、信康が武田家と内通していることを疑われた家康は弁解の使者に大久保忠世と酒井忠次を派遣した。この際に忠次は信康を十分に弁護できず、信康の切腹を防げなかった。
家康は信康の死を悔やんだが、忠次を罰することも冷遇することもなくむしろ家康第一の重臣とされた。やがて忠次が高齢となり家督を嫡男・家次に譲った。

しかし、知行割りの際に家次が与えられたたった下総臼井3万石だった。これは徳川四天王のほかの3人が10万石規模であったことに比して小禄であった。これに忠次が抗議した際、「お前でも我が子が可愛いか」と言い放った。
これは信康事件を皮肉った言葉で明らかに信康の死に対する復讐だった。家康は恨みを忘れず、しかし、表には出さなかった、合理主義な人物だった。

 武田信玄 A型

根 拠

血判や遺骨から


性 格

・ 現実的で合理的

古い書物に「信玄は軍略、戦術を決めるときは諸将の意見をよく聞いて決めた。一度決めるとまた、諸将を集めて検討し最終案をまとめ、今度は兵隊に何度か演習させてみる。それから初めて戦に挑む」とある。
このことから信玄は現実的で合理的な人物だった。

・ 野心家

物心両面に欲が強く、その目的のためには手段を選ばない冷酷無比なところがあった。

 上杉謙信 AB型

根 拠

血判


性 格

・ 潔癖で無欲、論理観が強い

・ 義・秩序・格式を重用する

・ 直観力にすぐれ、芸術的

・ 勘定の起伏が激しく、よく怒る。そして自己嫌悪に墜ちる

・ 対人間関係が苦手

謙信は非常に繊細な心をもち、幼児のような感傷や対人間関係を苦手とする未熟さがあった。
そのため家臣達にたびたび誓書を書かせていたとされている。

・ 大酒飲み

謙信はよく酒を飲んだ。それも勢いよく煽るように飲んだ。部下の表彰方法は大きな杯を与えて飲ませることだったが、酒が苦手な家臣にも押し付けて飲ませたという

・ ワンマン政治

戦術や方針を決めるときは春日山の毘沙門天堂のなかに数日引きこもって一人で決定し、そして部下に命令した。それが原因か上杉家には謀反を起こす家来も多かったという。