【史料や逸話で知る!戦国武将達の外見や声質】

山本勘助

 織田信長

・ 身長

166~170センチ


・ 顔

けわしい顔つきで切れ味の鋭い風貌


・ ヒゲ

ヒゲは少しあり濃くはない


・ 体格

中肉中背で体はひきしまっている


・ 声

甲高い


・ 響きわたる声

1581年、信長軍が京にて「京都御馬揃え」を行っている最中の出来事であった。京の町は多勢の観衆が詰め寄り歓声が鳴り響いていた。そんな中、信長の声は400~500mも離れていた人々の耳にまで届いたという。


 豊臣秀吉

・ 身長

154センチくらい


・ 顔色

黒かった


・ ひたい

狭く、しわがたくさんあった


・ 目

くぼんでいる。とびだしているという説もある。鋭い目つきだった


・ 口

髭は薄かった。天下をとってからは、大きな付け髭を用いていた


・ 体格

全体に小柄だった。肖像画は衣装をできるだけ大きく描いて、小柄に見えないようにしていた


・ 声

甲高い


・ 身長・体重について

体重などのデータは残されていないが秀吉着用の具足の胴回りがわずか83cmしかないことから、小柄だったと推測される。



・誕生時の伝説

秀吉には誕生時にまつわる伝説がいくつかある
 ① 生まれたときから歯が生えていた
 ② 片手の指が六本あった
 ③ 頬に五つのあざがあった



・サルからネズミへの変化

秀吉は幼少の頃から猿に似ていたため、周囲から猿之助と呼ばれた。
成人するとその容貌に軽快な動きだった為、なおさら猿に近づいた。信長や周囲の人々も、秀吉を「サル」と呼んだが、秀吉はいつもニコニコ愛嬌がよく自分から「わたくしはサルでございます。チョコチョコと動きまわるのが得いなサルでございます」と相手を楽しませていたという。
しかし、中年になると頭髪が少し禿げ、頬の肉も落ちて、ネズミに似てきた。やがて信長は親しみを込めて秀吉を「ハゲネズミ」と呼ぶようになった。

 徳川家康

・ 身長

155~159センチ


・ 耳

耳たぶの大きい福耳


・ 顔

丸顔で大きな目花が特徴で顎髭を生やしていた


・ 首と肩

首がずんぐりと太く短い、肩幅は50センチ


・ 手

手首から中指までが18.7センチ(家康の手形より)


・ ウエスト

100~120センチ
晩年は一人で下帯をつけれないほど太っていた


・ 脚

また下は80~82センチ
スネは35センチと短足

・ 足

足袋は22.7センチ



・戦での家康

「翁草(江戸時代に書かれた随筆)」によると、家康は『身長は小さく、太っており、髪は太く、無口であり、見苦しい男振りである。しかし、戦場、鷹狩のときは采配を振るうと摩利支天(武士の守護神)のようであった。声は十七、八町(約1700m~1800m)ほども聞こえた由である』と記載されている



・力自慢の家康

家康は小太りのイメージだが日頃から体を鍛え、剣法の名手、射撃の名人、馬術の達人と言われていた。
浜松にいた頃、屋根にいる鳥を撃とうと鉄砲を持って来させたが、距離が遠すぎたため、今度は大形の鉄砲にかえて

 武田信玄

・体格

身長162センチ(肖像画より)
丸々と肥えていて肩幅がしっかりしている。肥満型

・首と顔

首は短く、顔は丸い

・身長

標準だったと思われる



晩年の肖像画から

全盛期の肖像画では丸々と肥えて肩幅がしっかししているのに対し、晩年頃の肖像画には痩せて不健康な感じのものが残されている。もしかしたらその頃すでに死因となった肺病?に侵されていたとも考えられる。

 上杉謙信

・身長

156~160センチ
ガッシリとした体格で肩はややなで肩

・顔

顔の頬から下がふくれていた(下ぶくれ)

・目鼻

くっきりとして鼻筋が通り。
眉は濃く長く切れ長の大きな目で眼光は鋭かった。

・口

口元はキリッと引き締まっていた

・髭

口の周りとあご一面髭が密集してには濃かった

・身長

約160センチ


一枚の肖像画

謙信の肖像画は、たったひとつだけ残されている。晩年、京都から絵師を招いて描かせたもので謙信が脳卒中で倒れたその日に完成した。


雰囲気

吉川元春の使者が謙信に会ったったときの感想が残されている。
「音に聞こえし大峰山の鬼か、大天狗にでも会ったようで、恐ろしさに毛が逆立った」つまりその立ち振る舞いは威風堂々だったという。


身長

米沢市に所蔵されている謙信の着衣から推定すると謙信の身長は約160センチ程度。
これは戦国時代といえど小柄の分類であった。また、35歳のときに急性関節炎を発症し、左足が悪くしてしまい軽く足を引いていたという。