父・持清と共に六角高頼と戦う

京極 勝秀きょうごく かつひで

ポイント

  • 京極家当主・京極持清の長男
  • 応仁の乱で東軍に属し父と共に六角家と戦う
  • 父より先に病死する

概 要

京極家当主・京極持清の長男。応仁の乱が勃発すると父・持清と共に東軍に属し六角高頼と戦うが、その最中に死去する。

基本情報

誕 生1433年
没 年1468年(36歳 病死)
墓 所徳源院(滋賀県米原市)
幼 名三郎
偏 諱足利義勝
氏 族京極氏
主 君足利義勝足利義政
家族構成
京極持清
不明
正 室不明
兄 弟 勝秀政光政経、娘(畠山政長の正室)
孫童子丸、高清

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略 歴

1433年 1歳  京極持清の長男として誕生
1467年 35歳  応仁の乱が勃発
1468年 36歳  病死

生 涯

1433年、北近江の守護大名・京極家の当主・京極持清の長男として誕生した。

何年かは不明だが、室町幕府第7代将軍・足利義勝の偏諱を賜って勝秀と名乗り元服している。

その後、1467)に応仁の乱が勃発すると、父・持清とともに、従兄弟の細川勝元の東軍に属し、父・持清と六角家の庶流である六角政堯と共に西軍についた同族・六角高頼と戦うが、その最中に父に先立ち病死した。

勝秀の死後、2年後に父・持清も死去し京極家内で家督争い(京極騒乱)が勃発し、京極家の権力は衰退することになる。