京極騒乱を引き起こし京極政経を近江より追放した

京極 政光きょうごく まさみつ

ポイント

  • 京極持清の次男
  • 甥・京極高清を擁立し弟・政経と対立(京極騒乱)
  • 弟・政経らを追放した翌年に死去

概 要

京極持清の次男。応仁の乱の最中に京極家の家督を継いだ甥・孫童子丸を補佐した政経と守護代・多賀高忠に反発し甥・京極高清を擁立し西軍に寝返り京極家内部は分断した(京極騒乱)。その後、政経らを近江から追放して高清を当主に据えおいた翌年に死去した。

基本情報

誕 生1450年
没 年1473年(24歳 病死)異説あり
墓 所滋賀県米原市の徳源院
通 称四郎
偏 諱足利義政
官 位治部少輔、大膳大夫
氏 族京極氏、黒田氏
主 君足利義政義尚義稙
家族構成
京極持清
不明
正 室不明
兄 弟 勝秀政光政経畠山政長の正室

同じ年の武将

略 歴

1450年 1歳  京極持清の次男として誕生
1467年 18歳  応仁の乱が勃発
1468年 19歳  兄・勝秀が死去
1470年 21歳  父・持清が死去
弟・政経らが補佐し家督を甥・孫童子丸が継ぐ
政経らに反発し「京極騒乱」が勃発
1471年 22歳  孫童子丸が死去し政経が家督を継承
1472年 23歳  政経らを追放し高清を京極家の当主に擁立し後見役となる
1473年 24歳  死去

生 涯

1450年、京極持清の次男として誕生する。
初めは佐々木氏庶流の黒田氏の養子に入ったが、応仁の乱の最中に父と兄が死去したため京極家の家督は甥・孫童子丸が継承、孫童子丸はまだ幼かったため弟・政経と守護代・多賀高忠が補佐をした。
しかし、政光はこれに反発し多賀清直と共に孫童子丸の庶兄・高清を擁立して六角高頼と結んで西軍へ寝返ったため、京極家内で抗争が勃発した(京極騒乱)。
1471年に孫童子丸が早死にしたが、政経が次の当主になったため京極氏の抗争は継続した。一時は政経らに押されるが1472年に政経派を撃破、政経らを追放して高清を当主に据えて多賀清直と共に後見人となったが、翌年に死去した。