京極家の家督を継ぐがそれが京極騒乱を導く
京極 童子丸
ポイント
- 京極勝秀の嫡男
- 山城・出雲・隠岐・飛騨・近江の守護大名京極家当主
- 家督継承後、京極騒乱が勃発その1年後に死去
概 要
京極勝秀の子。父・勝秀が早死したため、祖父・京極持清の死後に家督を継承。しかし、これが家中の分裂を招き京極騒乱が勃発。家督相続1年後に死去した。
基本情報
| 誕 生 | 1466年 |
| 没 年 | 1471年(6歳 病死) |
| 幼 名 | 孫童子丸 |
| 氏 族 | 京極氏 |
| 主 君 | 足利義勝→足利義政 |
| 家族構成 |
| 父 | 京極勝秀 |
| 母 | 不明 |
| 正 室 | 無し |
| 兄 弟 |
高清(庶流長子)、孫童子丸
|
同じ年の武将
略 歴
| 1466年 |
1歳 |
京極勝秀の嫡子として誕生 |
| 1468年 |
3歳 |
父・勝秀が死去 |
| 1470年 |
5歳 |
祖父・持清が死去し家督を相続 京極騒乱が勃発 |
| 1471年 |
6歳 |
死去 |
生 涯
1466年に京極勝秀の嫡男として誕生した。祖父は京極家当主・京極持清。
応仁の乱の最中に父・勝秀が早死にし、その2年後に祖父・持清も死去したため、5歳で家督を継承した。後見役は祖父・政経と守護代・多賀高忠が務め引き続き東軍として応仁の乱を戦った。
しかし、もう1人の叔父・京極政光と多賀清直がこれに反発、孫童子丸の庶兄・高清を擁立して六角高頼と組んで西軍へ寝返り家中は分裂した(京極騒乱)。
その翌年に孫童子丸は早死にし家督は政経が継ぐが、家中の分裂は継続し結果、京極氏は弱体化することとなる。