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【名将に影武者あり!実際に存在した影武者とそのエピソード】
目 次
加藤嘉明
★ 加藤主水
淡路島に所領を貰った際に、海上戦にも強くなろうと、主水を影武者として起用。陸上では自らが指揮し、水軍では彼を代役にし、海陸ともに名をあげ、四十万石にまで出世した。
真田幸村
★ 不 明
何人もの影武者達が、同じ赤一色の武具を着こみ、それぞれ「われこそは幸村なり」と叫びながら合戦の最前戦を突進していった。しかし、これには諸説あり相手が勝手に影武者だと思い 込んでいただけ、という説もある。
大谷吉継
★ 刑部三人衆
吉継はハンセン病だったため、普段から顔を包み隠していたので、身代わりを立てやすかった。
戦場では刑部三人衆と呼ばれる家臣が吉継をかばっていた。
丹羽長秀
★ 長束正家
秀吉の時代になると、事務系の影武者も出現してきた。正家は関数力学を独学で覚え長秀の影となった。安土城の設計や大船建造技術までこなした。
長秀亡きあとは秀吉の臣下となり財務を担当した。
上杉謙信
★ 荒川伊豆守
川中島の戦いの際、行人包みの姿で武田陣へ乗り込み、敵将信玄に斬りつけのは、謙信ではなく、影武者の伊豆守だったという。これは上杉家の戦記に記載されている。
前田利家
★ 前田慶次郎利太
「われこそは利家が影武者」と戦場で大声でわめきたて、大ひんしゅくを買った人物、うつけものとして有名である。
慶次郎は武にすぐれた風流人で、いたずら好きでもあった。
明智光秀
★ 明智秀満(左馬助)
秀満の出自には数説あり、光秀の女婿という説と従弟説がある。
丹後征伐の黒井城の戦い(赤井の残党攻め)は娘婿の秀満が主役であったとされている。
★ 可児才蔵
光秀の危機を何度も救ったのが武勇に優れた可児才蔵である。
本能寺の変後、秀吉に敗れて最期を覚悟した光秀は、才蔵の働きに感謝し愛用の朱槍を贈ったと伝えられている。