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【名将に影武者あり!実際に存在した影武者とそのエピソード】
目 次
影武者の役目とは?
万一の時に備え自分の替え玉として!
敵を威圧し味方の敷を高めるために陣頭に突進する役目として!
信頼している武将などの裏切り、暗殺など明日の運命もわからない戦国の世。万一の時に備えて戦国武将達は自分の替え玉として影武者を用意していた。
また、合戦の際には敵を威圧し、味方の士気を高めるために危険な人道に突進する役目などがあった。
謎に包まれた影武者
影武者にとって一番重要な事が、仕える武将に完全になりきることだった。当然本人の素性を簡単に明かしてはならないため、影武者に関する具体的な資料はほとんど残っていない。
信長を始め秀吉、家康も当然影武者はいたはずだが名将になればなるほどセキュリティーが固く、表に出てこないよって影武者という存在は謎に包まれている部分が多い。
伊達政宗
★ 田村御前
端正な顔立ちの田村御前は政宗の側室の一人で、奥州三春の出身であった。
三春は馬の産地として有名で、女でも馬乗りは珍しくなかった。
騎馬隊を率いての武者ぶりを発揮した政宗の実像は実は田村御前だったという説がある。
滝川一益
★ 八 助
八助は一益の甥。滝川益重だという説もある。
甲斐攻めの際には先陣の影武者のほうが勇ましく、武田軍は彼を本物だと思い混んでうろたえ、矢を合わせただけで降参したという。
武田信玄
★ 武田信廉
信玄の二番目の弟。顔立ち、体形が兄と瓜二つのため、山本勘助の進言で影武者となった。文化教養人で、信玄の和歌は信廉作だともいわれている。
信玄ではなく信廉だったのでは?という逸話は多く川中島の一騎打ちをはじめ。信玄が駒場で死去したとき、ごまかしの帰陣をしたのも信廉ともいわれている。
★ 穴山梅雪
信玄のいとこ。容貌が信玄似であった。
影武者:小笠原源与斎
小笠原源与斎は千変万化の魔術師だったという。信廉の影法師役を務めたと伝えられている。
その他の影武者:金丸虎義、長坂閑斎、高坂昌信
尼子晴久
★ 天野掃部
富田城に大内勢が攻めてきたときに、晴久の甲冑をつけ、自分を殿だと名乗って包囲網を蹴散らした。
岩見銀山攻めでも、晴久の代わりに自ら陣頭に立って味方を鼓舞し見事に石見銀山城を攻略した。