【武将達の忍者活用方法】
織田信長
小さいころから鷹狩りが好きだった織田信長は、常に配下に優秀な鷹匠をそろえていた。彼らは忍者集団の一派といわれており、信長は忍者を高く評価していた。また信長自身も忍法にかなり精通していた。
信長の重臣・滝川一益と和田維政の全身は、伊賀忍者だったという。
徳川家康
織田信長が伊賀・甲賀攻めを企てたとき、その仲裁に入って忍者達を庇護したのが徳川家康である。
忍者達を助けるほど家康は忍者達を重要していた。さらに家康の家臣・服部半蔵を忍者達の創師に指名し、江戸に屋敷まで与えた。
ちなみにこの屋敷があった場所が千代田区に存在する半蔵門である。
武田信玄
武田信玄は、甲陽流忍術の祖ともいわれており、忍者を使っての諜報網づくりに熱心だった。また、くの一の養成にも余念がなく彼女達を巫女に変装させて情報収集にあたらせた。
上杉謙信
担猿(のきざる)と呼ばれる敏捷な忍者達を起用していた。薬草が取れる越後の地を利用し、彼らを薬売りの行商人に変装させた
毛利元就
盲目の琵琶法師や山伏を集団的に組織し、近隣諸国の情報収集にあたらせた。ときには河原者(差別民・乞食)までデッチあげてデマをながさせたりした。
今川氏輝(義元の兄)
鳥波(すっぱ)と呼ばれる忍者部隊を起用しゲリラ戦の主役として駆り出した。武田信虎の陣所に夜襲をかけたりと活躍した。
北条氏
「乱波」という風魔一族と密接な関係を持っていた。二百人を有する部隊を4グループに分けて敵陣に侵入させ、夜討ち・放火・敵兵の生け捕りなどに暗躍させた。武田勝頼との戦いで、見事なゲリラ戦を演じたのが風魔一族だったと伝えられている。