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【戦国武将達の心に刺さる名言と名句】
目 次
福島正則
『我は弓なり、乱世の用なり。今治世ならば、川中島の土蔵に入らるるなり』
1617年洪水で壊れた広島城の石垣を無断で修復したという理由でとがめられ、信濃川中島四万五千石に減封されてしまった時の言葉。
「自分は弓の役割であって乱世では重宝されるが、太平の世では川中島の土蔵に入れられてしまう」と無念の言葉を述べている。
朝倉宗滴
『巧者の大将と申すは、一度大事の後れに合ひたるを申すべく候』
重大な敗戦を経験している大将こそが真に戦さ巧者の大将である。
『耳は臆病にて、目の健気なるが本にて候』
大敵であるとの情報を得て逃げるのは作戦の一つであるが、大敵に遭遇した以上逃げるのは良くない。不可避の退却の場合でさえ、敵方への攻撃なしに退却は出来ない。
多胡辰敬
多胡辰敬は出雲国の尼子経久の家臣として石見国刺貸の岩山城主
『一人良きは頼みなし。親類付近数多ある人の思ひ合ひたるは、何も辺りより嫉みかきほれども苦しくもなし。』
勢力者一人では心もとないが、親類・知人が心を合わせている場所は周囲の妬みも敵の攻撃も恐れることはない。
これは自分が大きな勢力を保つ方法を説いたものである。他人のために尽くし、声望と支持を得ることが重要との趣旨である。それも親族や周辺の多数の助力が重要だと説いている
毛利元就
『三人の半、少しにてもかけこへだても候はただ三人御滅亡と思召さるべく候』
大内氏を滅ぼした後に、周囲に敵だらけの状況化のもと三人の息子(毛利隆元・小早川隆景・吉川元春)に送った書状の中の一説。
「三人の間にすこしでもわけへだてなどによる不和があれば、三人ともに滅びでしまうことになると心得よ」さらにこの後に「なぜなら、毛利一族は他の者と異なりひときわ他人の恨みや憎しみを受けなければならない立場にいるのであるから、結局全員滅亡にいたらないではすまない、名を失って一人二人生き延びても無意味である」という言葉が続く。
『大義を思ふものはたとえ首を刎らるる期迄も命を大切にして、何卒本意を達せんと思ふ』
関が原合戦に敗れた三成が六条河原の処刑場に引かれていく途中、三成は警護の物に湯が飲みたいと願いでた。しかし、湯がなかったため,その代りに干し柿を手渡すと「それは痰の毒になるからいらない」と断った「これから首を刎ねられる者が毒断ちをするとはおかしな話よ」警護の者がこういって笑うと三成は「汝らにはわかるまい。大義を思うものは、首を刎ねられる最期の瞬間まで命を大事にして、なんとか本意を達しようと思うものだ」三成は死の寸前まで、家康打倒の夢を捨てようとしなかった。
千利休
『上を麁相に、下を律儀に、物の筈の違はぬ様にすべし』
意味は、地位の高い人にはおろそか・いい加減に、逆に地位の低い人には丁寧に、約束事は違わぬような、ルールに従った扱いをせよ。
茶の湯の世界では日常的に重要視されていた地位や身分が否定され、全員が平等。対等な関係であった。つまりこれは、利休が抱いていた現実の社会との鋭い緊張をはらむ茶湯の精神を述べた言葉である。