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伊達政宗に仕え数多くの合戦で戦功をあげる
桑折 政長
ポイント
- 桑折宗長の子として生まれる
- 伊達政宗に仕え数多くの合戦で戦功をあげる
- 朝鮮出兵に従軍したが、病にて釜山浦で病没する
誕生・死没
- 誕生:1561年
- 死没:1593年
官 位
- 治部大輔、摂津守
所 属
略 歴
1561年 | 0歳 | 桑折宗長の嫡男として生まれる |
1591年 | 30歳 | 江刺郡岩谷堂城(岩手県江刺市)に所領を移す |
1593年 | 32歳 | 死 没 |
概 要
桑折宗長の嫡男として生まれる。伊達政宗に仕え、数多くの戦陣に出陣し、武功をあげる。朝鮮出兵に従軍したが、病にて釜山浦で病没した。
生 涯
1561年、伊達氏重臣・桑折宗長の嫡男として生まれる。
元服後は、主君・伊達政宗に仕え数多くの戦陣に出陣し、武功をあげた。
1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により、政宗が米沢から岩出山に移った時期、政長も江刺郡岩谷堂城(岩手県江刺市)に所替となった。
しかし、1593年月、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍中に、釜山浦で病没した。享年32歳であった。
その後の桑折家
政長には嗣子がなく、娘1人だったため1594年1月、政長の妻が政宗に願い出て、政長の従弟の石母田景頼の嫡男・満六を娘婿とし、桑折重長と名乗らせた。政長の妻の妹は、政宗の側室飯坂の局である。