領内を支配できず反対勢力によって自害した六角家9代当主

六角 満綱ろっかく みつつな

生 涯

近江守護六角家9代当主。3代将軍・足利義満の娘を娶り将軍家の庇護を受けるが6代将軍・足利義教が暗殺されると後ろ盾を失い、同時に発生した嘉吉の徳政一揆で領内は混乱した。満綱はその責任をとり近江守護を解任され、家督と守護職を嫡男・持綱に譲ったが、反対勢力に擁立された次男・時綱によって持綱と共に自刃した。

  ポイント

  • 9代目六角家当主で近江守護
  • 足利義教の死後、領内を統制できずに失脚し自害する

誕生・死没

  • 誕生:1401年
  • 死没:1445年
  • 享年:44歳

名 前

  • 別名:満経、四郎右兵衛尉
  • 戒名:龍雲寺殿貞山宗岱

官位・役職

  • 幕府:近江守護
  • 官位:従四位下大膳大夫

所 属

同い年の人物

  • 大舘持房、 季瓊真蘂、 京極持高、 櫛橋貞伊、 島津用久、 称光天皇、 東常縁、 中山定親、 日野家秀、 冷泉持為、 六角満綱、

親 族

六角満高
足利義満の娘
持綱時綱久頼、三井高久

略 歴

1401年 1歳  誕 生
1416年 16歳  家督と近江守護を継承
1434年 34歳  延暦寺と対立
1441年 41歳  嘉吉の乱が勃発
1445年 45歳  次男・時綱によって自害する

生 涯

近江守護六角家8代当主・六角満高の子として誕生。
1416年、父が死去すると家督と近江守護職を継承した。正室が3代将軍・足利義満の娘であることから6代将軍・足利義教の信頼を受けた。
1434年には領内の比叡山延暦寺と対立し京極持高と共に延暦寺攻撃に加わり、近江国内の延暦寺領を没収していった。しかし、嘉吉の乱で義教が赤松満祐に暗殺されると後ろ盾を失い、同時に発生した嘉吉の徳政一揆で領内は混乱、そして京都屋敷を襲撃され近江に逃亡した。
領内を支配できなかった満綱は近江守護を解任され、家督と守護職を嫡男・持綱に譲ったが、反対勢力に擁立された次男・時綱によって持綱と共に自刃した。

参考資料(引用元)