幕府により近江守護を継承した六角家11代当主
六角 久頼
生 涯
六角家11代当主。六角家9代当主・満綱の三男。元は僧籍であったが、長兄・持綱が次兄・時綱の反乱によって自害すると幕府の命を受けて還俗し時綱を討ち六角家11代当主となる。しかし、京極家の干渉に苦しめられ自害(憤死)した。
ポイント
- 9代目六角家当主・満綱の三男
- 次兄・時綱を破り六角家11代当主となる
- 京極家の干渉に苦しめられ憤死(自害)する
誕生・死没
- 誕生:????年
- 死没:1456年
- 享年:??歳
名 前
- 僧名:周恩
- 通称:史郎
- 戒名:詳光寺殿融山周恩
官位・役職
- 官位:従五位下近江守
- 役職:近江守護
氏 族
主 君
略 歴
| 1445年 | ?歳 | 次兄・時綱が持綱に対して反乱を起こし父・満綱と持綱を自害に追い込む |
| 1446年 | ?歳 | 還俗し時綱を討伐し六角家を相続 |
| 1456年 | ?歳 | 京極家の干渉に苦しめられ自害する |
生 涯
久頼の出生年は不明だが六角家9代目当主・六角満綱の三男として誕生した。久頼は三男だったため、相国寺(京都府上京区)に僧としてあずけられた。
1441年、嘉吉の変で将軍・義教が赤松満祐に殺害されると、六角領内で「嘉吉の徳政一揆」が勃発した。そのため、父・満綱がこの責任を取らされ近江守護を解任、代わって長兄である持綱近江守護に任命された。
しかし、1444年に持綱に不満を抱く家臣団が、持綱の弟・時綱を擁立し一揆を結成、持綱と満綱に対して反乱を起こした。
持綱と満綱はこの反乱を鎮圧することは出来ず、両者共に自害した。
この反乱に対し幕府は僧籍であった久頼を還俗させ、京極持清と共に時綱討伐の軍を派遣し、時綱は敗死した。
この結果、久頼が六角氏の家督と近江守護を相続した。しかし、一連の騒動で六角家の権力は後退していった。
家督を継いだ久頼は幕府の力を借りながら六角家の勢力を立て直そうとするが上手くいかず、守護代・伊庭氏の台頭や京極家の干渉にを受けるようになり久頼は1456年に憤死(自害)した。
家督は嫡男・六角高頼が継いだが、幼少だったため、甥で時綱の遺児・政堯が後見人となった。