若くして死去した幕府5代将軍

足利 義量あしかが よしかず

足利義量

足利義量肖像(神護寺蔵)

概 要

足利義持の子。義持の溺愛を受け、15歳ごろに家督を継承する。しかし実権は義持が握ったままだったため、名ばかりの将軍。
身体が弱く、大酒飲みだったため、早死にする。

  ポイント

  • 足利義持の子で幕府5代目当主
  • 身体が弱く大酒のみで早死にする

誕生・死没

  • 誕生:1407年
  • 死没:1425年
  • 享年:19歳
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氏 族

官 位

  • 正五位下、右近衛中将、従四位下、参議、 美作守、正四位下、贈従一位、左大臣

役 職

  • 室町幕府:第5代征夷大将軍

親 族

足利義持
日野栄子

略 歴

1407年 0歳   足利義持の嫡男として誕生
1423年 17歳   将軍職を継承
1425年 19歳   死 去

出 生

室町幕府4代目将軍・足利義持の嫡男として誕生

1407年、義量は室町幕府4代征夷大将軍・足利義持の長男として誕生する。
母は義持の正室・日野栄子。義持は義量をかなり溺愛していて、義持の参詣や参籠、遊覧の時にはほとんどにおいて義量は同行していたという。

将軍職就任

17歳で将軍職を就任

1423年、義量はわずか17歳で父・義持(当時38歳)から将軍職を譲られ室町幕府代・5代将軍となった。
義量の就任日には諸大名が群参して馬や太刀を献上して盛大に祝ったという。

義持が早くに義量に家督を譲った理由としては、義持自身が義満から早くに家督を譲られたたためこれに習った思われる。
そのため、実権は義持が持っており、義量は名ばかりの将軍であった

死 去

酒の飲みすぎにより早くに死去する

義量は疱瘡を患っていたうえ、大酒のみであったため、父・義持が15歳の義量に酒の飲みすぎに注意をするなどの記録も残るほど健康はすごく悪かった。
義量は死没する2、3年ほど前から病気を患い、様々な治療や祈祷を受けていたが1425年に父に先立って急死した。享年19(満17歳没)。

義量の死後

義量には嗣子が無く、兄弟もいなかった。そのため、義量の死後は父・義持が政界に復帰し政務を執っていた。

人 物

禅宗の信仰

義量はかなり義持から溺愛されており、酒飲みに関して起請文を取ったのも、我が子を心配してのことだった。

神罰により死んだ?

義量の死は突然だった。そのため、義持が殺害した義量の叔父にあたる義嗣の怨霊のため、または、義持が寺社統制のために石清水八幡宮の神人を数十人殺害した、その神罰であるとする噂もあった。

足利義教が出演したドラマ

参考資料(引用元)