結城家16代・政勝の嫡男だた家督をついで1日で死没した

結城 明朝ゆうき あきとも

  ポイント

  • 16代当主・政勝の嫡男
  • 疱瘡が原因で家督をついで1日で死亡

誕生・死没

  • 誕生:?年
  • 死没:1548年?1559年?
  • 享年:?歳

名 前

  • 新治郎(幼名)

所 属

官職・役職

  • 官位:左衛門督

親 族

2つの死亡年

明朝の死亡年には2説ある。
一つは1548年3月24日に父・政勝の隠居に伴って家督を継ぎ死亡した説。
もう一つは1559年8月24日政勝の死去に伴って家督を継ぎ死亡した説である。
 だが、二つとも共通して言えるのが、どちらの場合も、明朝は疱瘡が原因で家督を継いで僅か1日で死去したという。そのため系図には明朝は当主を継いでいない。

その後の結城家

明朝が死没したため、結城家には継承者がおらず、小山家に婿養子として送り出した小山高朝(政勝の弟)の三男・晴朝を養子に迎えている。