足利成氏側の将として各地で転戦した結城家14代当主

結城 氏広ゆうき しげとも

左三つ巴

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  ポイント

  • 13代当主・成朝の甥
  • 足利成氏の将として各地で転戦する
  • 家臣の多賀谷氏、山川氏、水谷氏の権力が強まった

誕生・死没

  • 誕生:1451年
  • 死没:1581年
  • 享年:31歳

同年代の人物

名 前

  • 重朝(初名)

所 属

官職・役職

  • 官位:不 明

親 族

略 歴

1451年 1歳  結城長朝の嫡男として誕生
1454年 4歳  享徳の乱
1463年 13歳  成朝が暗殺されたため、結城家の家督を継承
1471年 21歳  足利成氏と共に伊豆の堀越公方を攻める
古河城を占拠され足利成氏が千葉家に非難する
1472年 22歳  足利成氏の古河城帰環を援護する
1479年 29歳  嫡男・政朝が誕生
1481年 31歳  死 去

概 要

結城氏13代当主・成朝の甥(成朝の兄・長朝の子)。父・長朝はかつて成朝と家督争いを行い敗れていた。
 成朝が家臣に暗殺されると、家中の者に擁立され結城家の家督を継承する。
 家督を継承した後は、足利成氏の将として堀越公方や上杉家などと戦った。

家督継承

1451年、11代当主・結城氏朝の子・結城長朝の子として誕生(13代当主・成朝の甥にあたる)。
 1463年、13代当主・結城成朝が多賀谷氏家の弟・朝経に暗殺されると、朝経は結城基景(結城家庶流、山川家の出自)の擁立を図るが、基景が19歳で急死したために、成朝の兄・長朝の子である氏広が擁立された。
 ちなみに、氏広の父・長朝はかつて成朝と家督争いを繰り広げやぶれている。

家督相続後

氏広が家督を相続すると足利成氏方に味方し。享徳の乱を戦う。
 氏広自身も自ら出陣し、伊豆の堀越公方遠征や、古河城が一時陥された際は、千葉孝胤・那須資実らと共に成氏に協力し、古河城回復を援護している。
 

家中分断

享徳の乱で各地を転戦する一方、家中内では多賀谷氏、山川氏、水谷氏が結城家からの自立を図りはじめていた。
そして、家中の統一が図れないまま、1481年に死去。享年31歳であった。
家督は幼少の子・政朝が継いだ。