南部安信、石川高信の兄弟。対斯波家のため、浅利城の守備を任せられた武将

南 長義みなみながよし

浅水城

概 要

南部氏家臣。浅水城主。南部政康の三男として誕生。
三戸城の南に屋敷を構えたため「南殿」と呼ばれた。南部晴政の死後の家督争いでは 信直を擁立し、家督相続に貢献した

  ポイント

  • 安信の兄弟であり、南部晴政の叔父
  • 浅水城城主
  • 信直の家督相続に尽力する

官職・役職

  • 左衛門尉

親 族

南部政康
兄 弟 南部安信石川高信長 義
石亀信房毛馬内秀範
康義、直勝、直政

略 歴

1497年 0歳   南部政康の三男として誕生
1524年 27歳   浅水城主となる
1583年 86歳   死去

「南」性の由来

南家は浅水城の城主を命じられていましたが、屋敷は三戸城の南側に構えていました。そのため、周囲からは「南殿」と称されており、それがそのまま「南」性になったと言われています。

屋裏の変

長義は晴政と信直の内紛「屋裏の変」では、信直側に付いています。そのため何度か晴政側の武将に城を攻撃されています。
晴政の亡き後は「北信愛」らと協力して南部信直の家督継承を推し進めます。