兄・慶広から別家を立てることを許され一家を興す

蠣崎 守広かきざき もりひろ

南部利直

 ポイント

  • 蠣崎季広の十一男
  • 蠣崎家の支流を興す
  • 4代藩主・氏広を危険にあわせたため自害する

誕生・死没

  • 誕生:1564年
  • 死没:1635年
  • 享年:72歳

同年代の人物

名 前

  • 忠 広(別名)
  • 広 勝(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位:従五位下信濃守、従四位下

親 族

  •    父  : 蠣崎季広
  •    母  : 河野季通娘・伝妙院
  •  正 室 : 村上季儀の娘
  •  側 室 : 斎藤宗繁の娘
  •  兄 弟 : 南条広継正室
  •  兄 弟 : 蠣崎舜広
  •  兄 弟 : 明石元広
  •  兄 弟 : 蠣崎吉広
  •  兄 弟 : 蠣崎(松前)慶広
  •  兄 弟 : 下国師季の正室
  •  兄 弟 : 小平季遠室
  •  兄 弟 : 安東茂季正室
  •  子 : 蠣崎友広
  •  子 : 下国由季室
  •  子 : 蠣崎貞広室

略 歴

1564年 1歳  蠣崎季広の十一男として誕生
1635年 72歳  死 没

概 要

 松前藩家老。季広の十一男。兄・松前慶広から別家を立てることを許され一家を興して家臣となる。4代藩主・氏広を自宅に招いて応接した際、火災が起こったため、その罪を負って火中に入り死去した。

出生と生涯

1564年、蠣崎氏4代当主・蠣崎季広の十一男として誕生。 兄・松前慶広から別家を立てることを許され「守広系蠣崎家初代」を興した、以後は松前氏の家老として兄の補佐を務めた。兄の死後は、その跡を継いで松前藩2代藩主となった公広に仕えた。

死 没

 1564年に松前藩2代藩主・松前公広の子である氏広を自邸に招いて応接した際に、火災が起こるという不手際があり、その責任を取る形で自ら火の中に飛び込んだという。