概 要
徳川家臣。酒井忠次の嫡男。酒井佐衛門尉家第6代当主。主君・家康の偏諱を受ける。家康の関東入国の際に臼井城主となった。大坂夏の陣の後、越後高田10万石を領した。
ポイント
- 酒井忠次の嫡男で酒井佐衛門尉家第6代当主。家康の従弟にあたる。
- 関東移封にともない下総国臼井に3万7,000石を領す
- 大阪夏の陣の後には越後高田藩10万石を領した
誕生・死没
- 誕生:1564年
- 死没:1618年
- 享年:54歳
同い年の武将
名 前
- 小五郎(仮名)
- 左衛門尉
所 属
親 族
父 | : | 酒井忠次 |
母 | : | 碓井姫(松平清康の娘) |
妻 | 榊原政吉の娘 | |
兄弟 | 家次、本多康俊、小笠原信之 | |
子 | : | 忠勝、直次、忠重、勝吉、了次 |
忠時、政時、娘(松平忠良正室) | ||
娘(水谷勝隆正室)、娘(内藤忠興正室) | ||
娘(里見義高室)、娘(島田重利室) | ||
娘(高力一成室)、娘(菅沼忠隆正室) |
略 歴
1564年 | 0歳 | 酒井忠次の嫡男として誕生 |
1575年 | 11歳 | 長篠の戦いに従軍 |
1590年 | 26歳 | 下総国臼井に3万7,000石を領す |
1600年 | 36歳 | の関ヶ原の戦いに従軍(本戦には参加せず) |
1604年 | 40歳 | 上野国高崎5万石に移封 |
1614年 | 50歳 | 大坂冬の陣に参陣 |
1616年 | 52歳 | 越後高田藩10万石に移封 |
1618年 | 54歳 | 死去 |
誕 生
徳川四天王の筆頭・酒井忠次の嫡男として誕生
酒井忠次の長男として生まれる。母は徳川家康の叔母碓井姫。家次は家康の従弟にあたる。
家康の家臣
幼少より家康の家臣として仕え、1575年の「長篠の戦い」に従軍。1588年には、父・忠次の隠居に伴って家督を継ぎ、三河吉田城主となった。
翌年従五位下・宮内大輔に叙任された。1590年の小田原征伐後、関東に移封された家康からは下総国臼井に3万7,000石を与えられている。
家康の家臣としての活躍
関ケ原合戦
1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠に従って中山道を行軍したため、本戦には間に合わず、参加していない。
その後、1604年に上野国高崎5万石に移封されている。
大阪冬の陣
1614年の大坂冬の陣では、大坂城の東側の黒門口を持ち場として戦ったが、大坂城の堅い守りに阻まれてはかばかしい武功を挙げることは出来なかった。
大阪夏の陣
大坂夏の陣では激戦となった天王寺・岡山の戦いにおいて、天王寺口第三陣の大将を任されている。しかし、豊臣軍の猛攻により、天王寺口の味方は散々に崩され、家次も敗走した。
これに関連したのか戦後に家康より過失などをきびしくとがめせめたが、6月に許されている。
死 没
54歳で死没。家督は嫡男・忠勝が継ぐ
1616年に越後高田藩10万石に移封された。その2年後の1618年に死去した。54歳であった。
家督は長男の忠勝が継いでいる。