瀬内内
師季は安東家の傍流である安東家政の孫と言われている。 元々は蝦夷の豪族で、茂別館の当主であったが、アイヌ民族の攻撃に遭い茂別館から逃れ、松前の蠣崎家の庇護を受けた。松前に逃れた師季は出家し名を「清観」と名乗るその後、蠣崎家との仲が悪くなり、追放され、瀬用内に追放され、1563年に没する。