千葉家の執権として主家と同等の力を有した
原 胤栄
概 要
千葉家家臣。原氏は千葉家の庶流。原胤貞の嫡男。 千葉邦胤に執権として仕え主家と同等の勢力を有した。千葉家と共に北条家に従軍した後、豊臣秀吉の小田原征伐の最中に死去した。
ポイント
- 千葉氏の庶流「原氏」の出自
- 利胤・親胤2代に執権として仕えた
- 家と同等の勢力を有していたという
誕生・死没
- 誕生:1551年
- 死没:1590年
- 享年:74歳
名 前
- 十郎(通称)
官位・役職
- 式部大輔
所 属
略 歴
1551年 | 0歳 | 原胤貞の嫡男として誕生(諸説あり) |
1570年 | 19歳 | 家督を継ぐ |
1571年 | 20歳 | 拠点を生実城から臼井城に移す |
1585年 | 34歳 | 千葉邦胤が死没 |
1590年 | 39歳 | 小田原征伐 死没 |
原氏とは?
平安時代の武士・平常長(千葉氏の祖)の四男・平頼常が、下総国香取郡千田庄原郷(現在の千葉県香取郡多古町原)を領して「原」を氏としたのにはじまるという。
その後、室町時代には千葉氏の執権を務めた。
出 自
千葉氏重臣・原氏の宗家である原胤貞の嫡男として誕生する。(諸説あり)
活 動
1570年頃には父・胤貞の跡を継いで原家当主となり下総国生実城(現在の千葉市中央区)の城主となった。1574年には居城を臼井城(同佐倉市)へ移し、居城とした。
原氏宗家当主として一族の統制を図ろうとするが、原親幹・胤長ら庶流を抑えることに力を注いだ。また弟・原胤親とは確執があり、胤親の居城・手賀城(同柏市)に攻撃を加えた事もあったという。