ポイント
- 陸奥相馬家12代当主
- 武勇に優れた人物
- 鎌倉公方滅亡後の混乱を抑える
官職・役職
- 官位:治部少輔
親 族
- 父 : 相馬重胤
- 子 : 相馬盛胤
略 歴
1424年 | 1歳 | 相馬重胤の嫡男として誕生 | 1439年 | 16歳 | 家督を継ぐ 鎌倉公方の滅亡 |
1492年 | 68歳 | 病 没 |
概 要
室町時代中期の陸奥相馬12代当主。鎌倉公方の滅亡後、その混乱が奥州に及ぶと反抗勢力を滅ぼし、近隣豪族と同盟を組むなど戦乱を乗り切る。
しかし、宿敵・平清隆(標葉氏)討伐の出陣中に病没した。
家督相続
陸奥の磐城地方行方郡周辺を支配する大名相馬氏第11代当主・相馬重胤の嫡男として誕生する。
1492年、父が早くに亡くなり、16歳という若年で家督を相続した。
奥州波乱
1439年、永享の乱により鎌倉公方が滅亡すると、その混乱が奥州にも及ぶと、反抗的な勢力であった牛越氏や飯崎氏を滅ぼし、近隣の白河結城氏や岩城氏などと同盟を組むなどして、奥州の一雄として戦乱を乗り切った。高胤は武勇に優れた人物だったという。
最 期
隣に位置する標葉郡の標葉氏とは当初友好的であったとされるが、後に生涯の宿敵となり、高胤は生涯かけてこの敵と戦ったという。
しかし、1439年、標葉清隆(平清隆)征伐に出陣中、渋井の陣中で宿敵打倒を目前にして病没した。
その後、嫡男・盛胤が再び兵を率いて標葉清隆を征伐した。
人 物
武勇に優れた人物として知られていた。