千葉家30代当主。北条氏政の子。千葉家の養子に入り家督を継ぐ

北条(千葉) 直重ちば なおしげ

概 要

千葉家30代当主。北条氏政の子。千葉邦胤の死後、千葉家に養子入りし家督を継ぐ。小田原征伐では、小田原城に籠城した。敗戦後は蜂須賀家政に仕え、知行500石を与えられた。

  ポイント

  • 北条氏政の子。千葉家に養子入りし家督を継ぐ
  • 千葉家に養子入りし家督を継ぐ
  • 小田原征伐の敗戦後は蜂須賀家政に仕える

誕生・死没

  • 誕生:不明
  • 死没:1627年
  • 享年:?

名 前

  • 民部卿丸(幼名)

親 族

北条氏政
養父 北条氏照
正室 千葉邦胤の娘
継室 市原如雪の妹
兄弟 北条氏直 、 太田源五郎 、 太田氏房
直重 、 北条直定 、 源蔵 、 勝千代
芳桂院(千葉邦胤室) 、 竜寿院(里見義頼正室) 、 庭田重貞室
庭田重貞室

略 歴


1584以前 ?歳  叔父・氏照(大石源三)の養子となっていた
1585年 ?歳  千葉邦胤の死後
1589年 ?歳  元服
千葉家の家督相続
1590年 ?歳  小田原征伐
敗戦し兄・氏直に従い高野山に隠棲し
1591年 ?歳  蜂須賀家政に仕える
1627年 ?歳  死 没


出 生

詳しい出生日は不明だが、北条氏政の四男として誕生した。誕生してしばらくすると叔父・氏照(大石源三)の養子となった。

千葉家相続

1585年、千葉家当主・千葉邦胤が死没した、邦胤の男子・重胤は幼少であり、千葉氏の家中の間で北条氏の対応を巡り内紛が生じていた。
そんな中、北条派は、反北条派の頭領である原親幹に対し氏政は服属をすすめる交渉を行い、親幹はこれに応じ北条家に対して忠誠を誓う起請文を提出し、北条家に屈服した。
これにより直重が養子に入って千葉家を継承することになった。1595年には元服し、千葉家に由来すると見られる七郎を称し、正式に家督を継承した。

小田原征伐とその後

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が勃発すると、直重は小田原城に籠城した。しかし北条軍は大軍を有する豊臣家に破れ、直重は妻と離別して兄・氏直に従い高野山に隠棲み、1591年に赦免されると、蜂須賀家政に仕え、知行500石を与えられている。

子 孫

継室との間に生まれた実子の十三郎は早世したため、蜂須賀氏家臣・益田豊正の三男を婿養子に迎え、一字を与えて大石重昌(おおいし しげまさ)と称させた上で家督を継承させた。子孫は代々蜂須賀家に仕え、三代後の直武(なおたけ)から実家(後北条氏)の祖先とされる伊勢氏を称た。