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【遺骨や甲冑などから算出した戦国武将達の身長を紹介!!】
目 次
そもそもどうやって身長がわかるの?
正確な身長はわからない!!
実際のところ武将達の性格な身長は分かりません。というのも戦国時代に身長や袖丈が必要になることはなくそもそもそんな概念すら存在しなかった。
また、甲冑や衣服を制作する際に武将達のサイズを測ったりしたかもしれないが当時は計測するための物差しが統一されておらず、地域や使う職人によって誤差がでるのが当たり前だった。
そのため、多くの武将達の身長は本人着用と伝えられる(本人じゃない可能性も…)甲冑や衣服(直垂)のサイズや文献に記載されている身長から推測するしか方法がない…
また、保存状態がよければ遺骨から算出している武将もいる。
伊達政宗 159.7cm(遺骨)
伊達政宗が埋葬される瑞鳳殿を再建する際に学術研究のため遺骨を出土し計測している。政宗の遺骨は保存状態がよくとてむ貴重な遺骨だとか。※遺骨は政宗70歳時
徳川家康 159cm(位牌)
将軍家の菩提寺・大樹寺にある歴代将軍の位牌は死亡時の身長で作られているという。※あてにならないという説もある
徳川秀忠 160cm(遺骨)
発掘調査にて判明。上記同様将軍家の菩提寺・大樹寺にある歴代将軍の位牌は死亡時の身長で作られているという。秀忠は髭と胸毛の濃い男性的な体格をしていた。
加藤清正 190cm?(文献)
愛用の兜を入れた身長が190cmで実際は160cm前後だったという
藤堂高虎 190cm(文献)
『高山公実録』所収の『玉置覚書』によると幼少の頃より人並外れた体格で30歳頃の乳母の乳では物足りず、数人の女性の乳を貰ったという。
真田信幸 185cm(甲冑)
本人着用と伝えられる鎧や衣服のサイズから推定
前田慶次 160cm(甲冑)
漫画やゲームでは190センチ以上の長身のキャラクターという設定だが使用していたと思われる甲冑から実際は160センチ~170センチ程度かと推測される。また、慶次に関する史料はほとんど存在せずどのような人物であったかなどわかっていない。
武田信玄 162cm(鎧・肖像画など)
75kgのメタボ体形だった。
上杉謙信 160cm(鎧)
80kgで信玄よりも肥満体形だった。
織田信長 165~170cm(諸説あり)(等身大の木造)
大徳寺総見院に残された等身大の木造「織田信長座像」から背丈を5尺5、6寸であると推測される。
石田三成 156cm(復元した遺骨より)
頭は前後に長く、反っ歯の優男であったという。
前田利家 182cm(鎧)
利家が着用していたと思われる鎧兜一式から推定される身長
豊臣秀吉 142cm(文献)
文献から算出した数字。体重は45kgだった。
豊臣秀頼 197cm(文献)
197cm
文献に残る身長は「六尺五寸」体重は四十三貫これを今の値に直すと197cmと161kgになる。しかし、当時使っていた物差しが一尺何センチか不明なため、現在の身長に直すと誤差がでる可能性がある
斎藤義龍 195cm(文献)
「美濃国諸家系譜」では義龍を身長6尺5寸(約1m95cm)の大男とし、義龍の母も身長6尺(約1m80cm)もある女性だったと記述している。
三浦義意 227cm(文献)
227cm
相模三浦氏最後の当主。当時の軍記物語「北条五代記」によると背丈は7尺5寸(227センチ)と伝え、最期の合戦で身につけた甲冑は鉄の厚さが6cm、364cmの白樫の丸太を金砕棒にし戦たたかった。
真柄直隆 220cm(文献)
朝倉氏の家臣、黒鹿毛の馬に跨り、大太刀を振り回して戦ったこと
5代目風魔小太郎 216cm(文献)
北条五代記の記述には身の丈七尺二寸(2m16cm)、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し」という人間離れした姿だったと記述がある。