概 要
豊臣秀吉の正室。名は「ねね(又はおね)」だが、一般的に「北政所」と呼ばれた。
無名時代の秀吉と苦難を共にした。秀吉が関白になると朝廷との交渉や家政をとりしきった。
また、秀吉との間に実子がいなかったため、加藤清正や福島正則といった武将を我が子同然に養育し、一人前の武将に育て挙げた。
秀吉の死後は、徳川家康の天下を容認し家康寄りの立場を貫いた。
ポイント
- 織田信長の弓衆・浅野長勝の養女
- 秀吉の正室となり生涯秀吉を支えた
- 加藤清正や福島正則を育てあげた
- 秀吉亡き後は家康の天下を容認し家康寄りの立場を貫いた
誕生・死没
- 誕生:1547~49年
- 死没:1624年
- 享年:76?77?83?歳
墓所
- 高台寺(京都市東山区)
名 前
- ねね又はおね
- 北政所(通称)
- 高台院湖月心公(法名)
氏族
略 歴
1549年? | ?歳 | 誕生 |
1561年 | ?歳 | 豊臣秀吉に嫁ぐ |
1568年 | ?歳 | 美濃に住む |
1574年 | ?歳 | 秀吉が長浜城の城主となり大政所と共に長浜に転居する |
1582年 | ?歳 | 本能寺の変 |
1585年 | ?歳 | 秀吉が関白に任官 ねねが従三位に叙せられ、北政所の称号を許される |
1588年 | ?歳 | 従一位准三后に叙せられ、豊臣吉子(とよとみのよしこ)の姓名を賜った |
1598年 | ?歳 | 秀吉が死去 |
1599年 | ?歳 | 大阪城を退去し京都新城へ移住 |
1600年 | ?歳 | 関ケ原の戦い |
1603年 | ?歳 | 朝廷から院号を賜り高台院湖月心尼と称す |
1615年 | ?歳 | 大阪の陣で豊臣家が滅亡 |
1624年 | ?歳 | 高台院屋敷にて死去 |
出 自
北政所の生年については諸説(1547、48?、49?)あるが、織田信長の足軽であった杉原定利の次女として尾張国朝日村(現在の愛知県清須市)に生まれ、本名は「ねね」、「おねね」と言った・
その後、織田信長の弓衆で叔母の嫁ぎ先であった、浅野長勝の養女となった。
秀吉との出会い
ねねと秀吉との出会いは、桶狭間の戦いの後、通説ではねねが14歳の頃、秀吉がおねを見て一目惚れしたと伝わっている。
結婚に対して、身分の違いからねねの実母に猛反対されるが、兄・家定や周囲の説得もあり無事に嫁ぐ事ができた。
この時代にはめずらしい恋愛結婚であった。
結婚式は結婚式は周囲に反対されたことと夫の身分の低さから藁と薄縁を敷いて行われた質素なものであった。
ねねと秀吉との間に実子ができなかったが、加藤清正や福島正則などの親戚を養子や家臣として我が子の様に可愛がり、一人前の武将に育てあげた。
長浜での生活
秀吉が近江長浜で一国一城の主となるとねねは秀吉の生母・大政所と共に長浜に転居した。
また、秀吉は遠征で長浜を空けることが多かったので、ねねが城主代行を行った。
1582年に、本能寺の変が起きると、明智方の阿閉氏が長浜に攻めてきたので、ねねと大政所は共に避難している。
豊臣政権
秀吉が大阪に移りすむとねねもこれに従い大阪に転居した。
1585年、秀吉が関白に就任に伴い、ねねも従三位に叙せられ、北政所の称号を与えられ、以後「北政所」と呼ばれた。
天下人の妻となった北政所は朝廷との交渉を一手に引き受けたほか、人質として集められた他国大名の妻子を監視する役割を担った。
1588年、後陽成天皇を招きいれた接待(聚楽第行幸)が無事終わると、北政所は破格の従一位准三后に昇進し、豊臣吉子(とよとみのよしこ)の姓名を賜った。
秀吉死去
1598年、秀吉が死去すると、北政所は秀吉の側室・淀殿と連携して豊臣秀頼の後見にあたった。
徳川家康が石田三成らに襲撃される事件が起きると、
北政所は中立的な立場を示し両者の仲裁をした。
石田三成と徳川家康の関係が悪化すると大坂城を退去し、古くから仕えてきた奥女中兼祐筆の孝蔵主らとともに京都新城へ移住した。
その後、関ケ原の合戦が勃発すると北政所は家康寄りの立場を貫き家康の天下容認を認めた。家康も北政所の所領(河内国内1万5,672石余)を安堵した。
豊臣家滅亡
1603年、北政所は義母・大政所の死と秀頼と千姫の婚儀を見届けると仏門に入り、朝廷から院号を賜り高台院湖月心尼と称した。
1605年、実母と秀吉の冥福を祈るために、家康の後援のもと京都東山に高台寺を建立し、その門前に屋敷を構えた。
大坂の陣が始まると、北政所は豊臣家の滅亡を防ぐため秀頼と交渉を行おうとしますが、幕府から警戒され「高台院をして大坂にいたらしむべからず」として、甥・木下利房が護衛兼監視役として北政所を監視していた。
そして、北政所は動きを封じられたまま秀吉と築いた豊臣家は滅びた。
だが徳川家との関係は極めて良好で、徳川秀忠の高台院屋敷訪問や、高台院主催による二条城内での能興行が行われた記録が残っている。
その後は目立った活動記録は見られず1624年、高台院屋敷にて死去した。
なお、自身の遺領については、晩年に木下家から養子として迎えた利房の子・利次に相続させた。
人物・エピソード
日本の女王
豊臣政権においては大きな発言力と高い政治力を持っていた。
ルイス・フロイスは「関白殿下の妻は異教徒であるが、大変な人格者で、彼女に頼めば解決できないことはない」と記している。また、フロイスは高台院を「王妃」もしくは「女王」と称していた。
秀吉がバテレン追放令を出した時、畿内から出ようとしている司祭たちに人を遣わして食料品を贈り、関白が畿内に帰ったら自分のできることなら何でもす
るとバテレン達と約束をしている。
徳川秀忠との関係
北政所と徳川秀忠は非常に仲が良かった。秀忠が12歳の時に家康から秀吉に人質として送られた際、身柄を預かった高台院が秀忠を手厚くもてなし髪の結い方、装束の着方を秀忠に教えるなどしていた。
そのため秀忠は恩義から高台院を手厚く保護しており、終生上洛するたびに高台院を訪ねていたという。
参考資料(引用元)
北政所が出演した作品
- 俺は藤吉郎 演:嵯峨三智子
- 太閤記 演:嵯峨三智子
- ホラ吹き太閤記 演:浜美枝
- おんな太閤記 演:佐久間良子
- 寧々〜おんな太閤記 演:仲間由紀恵
- 太閤記 演:藤村志保
- 戦国太平記 演:東山千栄子
- 青春太閤記 演:大原麗子
- 新書太閤記 演:山本陽子
- 黄金の日日 演:十朱幸代
- 関ヶ原 演:杉村春子
- 徳川家康 演:吉行和子
- 独眼竜政宗 演:八千草薫
- 春日局 演:香川京子
- 信長 KING OF ZIPANGU 演:中山美穂
- 天下を獲った男 豊臣秀吉 演:財前直見
- 豊臣秀吉 天下を獲る! 演:風吹ジュン
- 秀吉 演:沢口靖子
- 葵 徳川三代 演:草笛光子
- 利家とまつ〜加賀百万石物語〜 演:酒井法子
- 太閤記 サルと呼ばれた男 演:国仲涼子
- 功名が辻 演:浅野ゆう子
- 太閤記〜天下を獲った男・秀吉 演:星野真里
- 天地人 演:富司純子
- 江〜姫たちの戦国〜 演:大竹しのぶ
- 軍師官兵衛 演:黒木瞳
- 真田丸 演:鈴木京香
- 光秀のスマホ 演:田中みな実
- どうする家康 演:和久井映見
- 豊臣兄弟! 演:浜辺美波