人質として家康に嫁いだ秀吉の妹

朝日姫あさひひめ

大政所

「朝日姫像」
(南明院蔵)

概 要

豊臣秀吉の異父妹。(同父妹説あり)初めは信長に仕えた佐治日向守に嫁いだが、秀吉に強制的に離縁させられ人質として家康に嫁いだ。駿府では駿府御前と称された。

  ポイント

  • 豊臣秀吉の妹
  • 人質として家康に嫁ぎ、駿府御前と称される

誕生・死没

  • 誕生:1543年
  • 死没:1590年
  • 享年:48歳

墓所

  • 南明院(東福寺塔頭、京都府京都市東山区本町十五丁目)

名 前

  • 朝日/旭(名)
  • 駿河御前(通称)
  • 南明院(法名)

略 歴

1543年 1歳   誕生
1586年 44歳   人質として家康のもとへ嫁ぐ
1590年 48歳   死 去

出 生

1543年、竹阿弥大政所の娘として誕生した。
日秀尼秀吉とは父が違うが、豊臣秀長とは同じ父である。

その後、尾張国の農民・佐治日向守に嫁いだ。日向守は秀吉が出世するとともに、武士に取り立てられた。※異説として佐治日向守の前に織田家臣・副田吉成と結婚していたという説もあるが、いろいろと矛盾点がありはっきりしたことは不明である。

人質として家康のもとへ嫁ぐ

小牧・長久手の戦いのあと、秀吉は家康から人質として結城秀康を養子としたが、秀吉は家康を妹婿にしもっと強固な関係を築こうと考えた。
1586年、秀吉は家康との結び付きを強固にするため朝日姫を家康に嫁がせる事にした。しかし朝日姫にはすでに日向守がいたため、秀吉は2人を強制的に離縁させ日向守には500石を捨扶持として与えたが、佐治日向守は自殺した。※異説として日向守は剃髪して隠居したとも伝わる。
近年の研究では本能寺の変の頃には2人は既に離縁しており、政略結婚のために強制的に離縁された訳ではないとする説も浮上している。

朝日姫は浅野長政・富田知信・津田四郎左衛門・滝川儀太夫等総勢150名余を引き連れ京を出発、途中に織田信雄の家臣・織田長益と滝川雄利を加わえ浜松に到着した。この時、家康45歳、朝日姫44歳だった。
朝日姫は駿府に居を構え駿河御前と呼ばれた。

しかし、家康はこれでも上洛しなかったため、秀吉は実母・大政所を朝日姫の見舞いという形で追加の人質を出した。これにより家康は重い腰をあげ上洛した。

その後は目立った痕跡はなく、1590年、48済でこの世を去った。

参考資料(引用元)

大政所が出演した作品

  • 『大坂城の女』(演:桜町弘子)
  • 『新書太閤記』(演:岡田可愛)
  • 『関ヶ原』(演:三戸部スエ)
  • 『おんな太閤記』(演:泉ピン子)
  • 『徳川家康』(演:岩本多代)
  • 『独眼竜政宗』(演:野川由美子)
  • 『秀吉』(演:細川直美)
  • 『功名が辻』(演:松本明子)
  • 『寧々〜おんな太閤記』(演:田畑智子)
  • 『江〜姫たちの戦国〜』(演:広岡由里子)
  • 『真田丸』(演:清水ミチコ)
  • 『どうする家康』(演:山田真歩)
  • 『豊臣兄弟!』(演:倉沢杏菜)