ポイント
- 相馬高胤の嫡男で相馬家13代当主
- 標葉氏を滅ぼし標葉を支配下にする
- 近隣の有力勢力と姻戚関係を結び領国支配の安定に努めた
官職・役職
- 官位:従四位下、大膳大夫
略 歴
1476年 | 1歳 | 相馬高胤の嫡男として誕生 | 1492年 | 17歳 | 父・高胤が死没し家督を継ぐ 標葉氏を滅ぼし標葉郡を支配下に収める |
1508年 | 33歳 | 嫡男・顕胤が生まれる | 1521年 | 45歳 | 死 没 |
概 要
室町時代中後期の陸奥相馬家13代当主。高胤の子。
1492年、標葉氏を滅ぼして陸奥標葉郡を支配下におき、宇多郡、行方郡とあわせて3郡を支配下とした。
近隣の有力諸家と姻戚関係を結ぶなど領国支配の安定に努め、陸奥相馬氏の戦国大名としての礎を築く。
家督相続
1476年、相馬氏12代当主・相馬高胤の子として生まれる。はじめ「定胤」と名乗った。盛胤の「盛」は蘆名家の由来か?
1492年に父・高胤が標葉隆成との戦いの最中に渋井の陣で死没し、家督は盛胤が相続するとことになった。
標葉郡支配
家督を継いだ盛胤は直ちに軍を再編成し標葉清隆・隆成との合戦を再開し、同年、標葉氏の居城・権現堂城を攻め落として滅ぼし、標葉郡全域と楢葉郡のうち富岡城(富岡町)、木戸城(楢葉町)を支配下に収めた。
これにより相馬家は宇多郡、行方郡とあわせて3郡を支配下することになった。
領国支配の安定化
次に盛胤は蘆名盛舜の娘を正室に迎え(諸説あり)、嫡男・顕胤には伊達稙宗の娘を嫁がせ近隣の諸勢力と姻戚関係を結び領国支配の安定化を目指した。
これにより陸奥相馬氏は戦国大名としての地位を確立した。
その後、盛胤は1521年に死没した。