伊達家14第当主
周辺諸国と縁戚関係を結び勢力を拡大した
伊達稙宗
伊達種宗
ポイント
- 周辺諸国と縁戚関係を結ぶ事で勢力を拡大していった
- 戦国時代において最大規模の分国法「塵芥集」を制定
- 天分の乱の原因者
目 次
誕生・死没
- 誕生:1488年
- 死没:1565年
- 享年:78歳
所 属
名 前
- 幼名:次郎
- 初名:伊達高宗
官職・役職
- 従四位下、左京大夫
- 陸奥守護
親 族
略 歴
1488年… | 伊達家13代当主・伊達尚宗の嫡男として生まれる。 |
1514年… | 父・尚宗の死去に伴い家督を継ぐ(27歳) |
1517年… | 将軍・義稙の偏諱を受け、「稙宗」と改名し、左京大夫を補任する。(30歳) |
1520年… | 最上家と対立が起こり、上山城・山形城・天童城・高擶城(たかだま)を落とす(33歳) |
1522年… | 陸奥国守護に補任(35歳) |
1532年… | 居城を西山城に移す(45歳) |
1536年… | 分国法「塵芥集」を制定する(49歳) |
1538年… | 『御段銭帳』などの徴税台帳を作成(51歳) |
1542年… | 天分の乱勃発(~48年)(55~61歳) |
1548年… | 嫡男・晴宗と和睦。隠居(61歳) |
1565年… | 丸森城で病死(78歳) |
分国法塵芥集 とは
1536年に伊達稙宗が制定した条文およそ171条にも及ぶ、当時(戦国時代)最大規模の分国法(※分国法とは戦国時代に戦国大名が領国内を統治するために制定した基本的な法典)である。制定事業は西山城で行ったとされている。
塵芥とは「ちり・ゴミ」といった意味であるが、ここでは多数ということで、あらゆる方面にわたり多くの事柄を網羅して作ったという意味である。
刑法と民法の区分はないが訴訟の仕方など、いわゆる原告・被告の関係はよく整理されている。領民の保護に格別の注意を払っていたことが覗える。殊に神社仏閣と細工人(武具・農機具の職人など)、には土地所有権売買他で優遇し他領地へ離散することを防いでいる。
生口という特殊な制度があり、伊達家が犯罪捜査をしないため、被害者が自ら捕まえなければならなかった。冤罪の場合は50日以内に真犯人(むかい生口)を生きたまま連れて来なければならなかった。