280年間相馬家の居城であった、平山城
小高城
小高城跡
1.城データ
築城年
- 着工:1323年
- 完成:1326年
築城者
- 相馬重胤
別名
- 紅梅山浮船城
天守構造
- なし
城郭構造
- 平山城
遺構
- 郭・曲輪・空堀
主な城主
- 相馬氏
廃城年
- 1611年
年 表
1323年… | 相馬重胤が下総相馬から移り住んで築城を開始 |
1326年… | 小高城が完成する。 |
1336年… | 南朝軍によって陥落する |
1337年… | 相馬家が小高城を奪還する |
1611年… | 相馬家が本拠地を中村城に移し、小高城は廃城となる。 |
概 要
1323年に下総相馬から移り住んできた相馬重胤が築城を開始し、1526年に完成し相馬家の居城となる。南北朝時代になると南朝軍の北畠顕家に陥落させられるが、翌年相馬家により奪還する。
相馬氏が小高の地に本拠地を置いた理由として南の「岩城家」を牽制するためと言われている。
1597年になると、16代当主・義胤が拠点を牛越城に移す、これは新たな城として小高に築いた村上城が移転直後に火災により焼失したためと言われている。しかし、拠点を牛越城に移してしてからは、伊達家による相馬領の侵攻や徳川家康による領土没収等、相馬家にとって良く無い事が続いたため、1602年に本拠地を小高城に戻した。
その後、1611年に規模が小さい小高城から中村城(福島県相馬市)に移転し、小高城は廃城となった。現在は本丸後に相馬小高神社が存在しており、東北六大祭に数えられる相馬野馬追の会場となっている。
立 地
北東から伸びる標高10m程の丘に築城された平山城である。南を流れる小高川を外堀とし、城の北から西にかけて空堀があったとされている(現在は水田が広がっている)周囲を水や湿地帯で囲まれているため、遠くから見ると水の上に浮かんでいるように見えるため「浮船城」また、周辺に「紅梅」が多数さいており「紅梅浮船城」とも呼ばれていた。
城としては小規模であり、構成としては、本丸・南二ノ丸・北二ノ丸・馬場(乗馬の練習をする場所)の4つの郭で構成されてた。