佐竹当主・佐治の5男として生まれ初代佐竹東家当主となる

佐竹 政義さたけ まさよし

佐竹東家の居城・武熊城跡
提供元:御城学のお城を学ぼう 様

  ポイント

  • 佐竹氏の第14代当主・佐竹義治の5男
  • 佐竹東家初代
  • 甥の佐竹義篤を補佐する

誕生・死没

  • 誕生:1484年
  • 死没:1534年
  • 享年:50歳

名 前

  • 九郎(幼名)

所 属

官職・役職

  • 官位:左近将監

親 族

略 歴

1484年…佐竹氏の第14代当主・佐竹義治の5男として生まれる
  
1534年…死去

概 要

佐竹氏の第14代当主・佐竹義治の5男として生まれる。佐竹氏の居城である太田城の東に居城を構えたことから、「東殿」といわれやがて佐竹北家となる。実兄の佐竹義信(北殿)と共に兄の佐竹義舜、甥の佐竹義篤を補佐した。

佐竹東家の設立

文明16年(1484年)、佐竹氏の第14代当主・佐竹義治の5男として生まれる。母は大山常金の娘。幼名は九郎。
はじめ田口氏の養子となるが、やがて出家して僧侶となり、周悦と号した。しかし、兄の命令で還俗し、政義と名乗る。佐竹氏の居城である太田城の東に居城を構えたことから、「東殿」といわれた。

佐竹氏の補佐

そして佐竹東家を設立した政義は同じく北に居城を構えた実兄の佐竹義信(北殿)と共に兄の佐竹義舜、甥の佐竹義篤を補佐した。

参考資料(引用元)