佐竹北家初代当主として佐竹義篤を後見人として補佐した

佐竹 義信さたけ よしのぶ

佐竹北家の居城・久米城跡
提供元:でんでん太鼓 様

  ポイント

  • 佐竹氏第14代当主・佐竹義治の四男
  • 佐竹北家初代当主
  • 佐竹義篤を後見人として補佐する

誕生・死没

  • 誕生:1476年
  • 死没:1533年
  • 享年:58歳

名 前

  • 又次郎(通称)
  • 右衛門尉(受領名)

所 属

官職・役職

  • 不明

親 族

略 歴

1476年…佐竹義治の次男として誕生
1478年…久米家の養子となる
1517年…佐竹宗家を義篤が継ぐ
1533年…死 去

概 要

佐竹義治の次男として誕生。久米家を継ぐと長兄・義舜を補佐し、義舜が死去した後は甥に当たる義篤を弟の政義と共に後見人として補佐した。

初代「佐竹北家」

1478年に兄(異説あり)の義武が山入義知に攻められて戦死したため、その養子となって家督を継ぎ久米城主となった。
長兄の義舜をよく助け、1517年に義舜が死去した後は甥に当たる義篤を弟の政義と共に後見人として補佐した。
なお、佐竹氏の居城である太田城の北方にある久米城を居城にしたことから「北殿」と称され、子孫は佐竹北家として宗家の補佐に当たった。
1533年8月12日に死去。享年58。長男の義住が家督を継いだ。

参考資料(引用元)