大浦(津軽)為信を婿養子に迎え家督を譲る

大浦 為則おおうら ためのり

大浦為則

大浦為則 肖像画

概 要

南部家臣で津軽地方の武将。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・阿保良(戌姫)の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後継者とした。

  ポイント

  • 大浦城城主
  • 病弱で政務はほぼ家臣任せ
  • 大浦為信を婿養子に迎える

誕生・死没

  • 誕生:1520年
  • 死没:1567年
  • 享年:47

同年代の人物

名 前

  • 不 明

所 属

官職・役職

  • 官位:不 明

親 族

  •  父  : 大浦政信
  •  兄弟 : 大浦守信
  •  子  :女子、阿保良、男子6人
  •  養子 : 津軽為信

略 歴

1520年 1歳  大浦政信の嫡男として誕生
1541年 22歳  政信が戦死する
家督を継ぐ
1567年 47歳  死 没

出 自

大浦政信の嫡男として誕生。
1541年、父・政信が戦死したため家督を相続する。

生 涯

家督継承後、為則は宿敵・武田氏を降し堀越城を攻略すると弟・守信を同氏に養子として送り込み完全に武田氏を掌握した。
その後、娘・阿保良(戌姫)を津軽為信に娶わせて養嗣子として迎えた。(為信の出自については諸説ある詳しくはコチラ
その後、1567年に死没している・

人 物

体が弱く生来病弱なため政務を家臣に任せていたと言う。

為信以前の大浦家の史料が少ないため、大浦家には謎が多い。為則から為信の家督相続でも円滑に行われていなかったのではないかと青森県史では推測している。