命を断つことにより無実を証明した蠣崎家の重臣
南条 広継
逆さ水松
ポイント
- 蠣崎家の重臣
- 蠣崎季広の長女を正室にもつ
- 正室の謀反に連座させられ自害を命じられる
誕生・死没
- 誕生:1529年
- 死没:1562年?
- 享年:33歳
親 族
- 正室:蠣崎季広の長女
略 歴
1529年… | 誕 生 |
1562年… | 季広に自害を命じられ自ら命を絶つ。 |
生 涯
1529年に生まれる。父母は不明。
季広の長女を正室に迎え、蠣崎家の一族として重用された。季広と基広の家督争いによって空白となった上の国館の主に任じられたが、後にこの家督争いは、自分の娘婿の基広に蠣崎家を継がせようと考えた広継の妻であり季広の長女の企てであり、さらには数年後夫である「広継」に家督を継承させようと季広の息子の舜広と元広を暗殺し、これが「季広」にとうとうバレてしまい妻は自害させられてしまいます。しかも、広継もこれらの関与していると疑いが掛けられてしまいます。広継は最後まで身の潔白を証明しますが1562年、自ら身の潔白を証明するために命を経ちます。この時の伝説が「逆さ水松」伝説と今日まで語り継がれています。
「逆さ水松」伝説
妻が謀反の罪で自害させられ、夫の広継も当然追求を受けました。しかし広継は固く身の潔白を誓い、礼服に身を固め棺に入り、自ら命を絶った。この時1本の水松を棺の上に逆さに生けさせ「水松が根付いたら謀反の意が無かった事の証明となる」と言って家臣に命じ生き埋めにさせたのである。その後水松は根付き成長し、広継の無実が証明されたと言われている。