千葉家28代当主。北条家と距離を置いたため幽閉される
千葉 良胤
概 要
千葉家28代当主。胤富の長男。存在を示す史料が少なく架空の人物ともいわれている。その史料によると今までの戦略から一変、反北条家の戦略をとったため家臣に幽閉された。
ポイント
- 千葉氏28代目当主
- 存在を示す史料が少なく架空の人物とも…
- 北条家と距離を置いたため幽閉される
誕生・死没
- 誕生:1557年
- 死没:1608年
- 享年:51歳
所 属
略 歴
1557年 | 0歳 | 千葉胤富の嫡男として誕生 |
1573年 | 18歳 | 下総国公津城(現在の千葉県成田市)に幽閉?後に奥州へ逃亡 |
1590年 | 33歳 | 下総に帰還 |
1608年 | 51歳 | 死 没 |
架空人物か?
現在、良胤の存在を示す史料はわずかしかなく(一部の系図類)が伝えるのみで『千葉大系図』など千葉氏の主要史料などに記されておらず、また、良胤が当主であった1573年より1575年には既に双子の弟・邦胤が当主であった事が確認されており、戦国時代初期に武蔵国に実在した同姓同名の千葉良胤(武蔵千葉氏の千葉自胤の別名とも自胤の子である千葉盛胤の子(自胤の孫)とも言われる)を元にした架空の人物であると説もある。
幽閉からの逃亡
良胤は、父・胤富がとった親北条家の戦略から路線変更し、北条氏との距離を置いて、中央政権を手中に収めた織田信長とも通じたためにこれに危機感を抱いた原胤栄(もしくは隠居した父・胤富)によって下総国公津城(現在の千葉県成田市)に幽閉され、後に脱出して奥州に逃れた。
帰 還
1590年の小田原征伐で北条氏に味方したため千葉氏が改易されると、良胤は下総に帰還。その後、1608年、死去したと言われている。