ポイント
- 千葉家16代当主・胤直の弟
- 享徳の乱で胤直と共に上杉側につく
- 叔父の馬加康胤に攻撃され自害する
- 武蔵千葉家初代当主・実胤の父
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:1455年
- 享年:不 明
官職・役職
- 官位:中務大輔
親 族
- 父 : 千葉兼胤
- 母 : 上杉禅秀の娘
- 兄弟 : 千葉胤直
- 子 : 千葉実胤
- 子 : 千葉自胤
略 歴
1455年… | 享徳の乱では、上杉軍に付く 足利成氏側の叔父・馬加康胤と重臣の原胤房の連合軍に攻撃され自害する |
享徳の乱
1455年1月15日、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことから享徳の乱が起きると、兄胤直と共に成氏討伐に参加した事から8代将軍足利義政から激賞された。だが、これに不満を抱く重臣原胤房に千葉城を急襲され、胤賢は兄と甥の胤宣と共に千田荘(現在の多古町)に逃れた。
そして自害へ
その後、胤直と胤賢は志摩城に、胤宣は多古城に立て籠り援軍を待ったが、康正元年(1455年)8月12日、原胤房に加担した叔父馬加康胤の攻撃に耐え切れず多古城は陥落、胤宣は城の近くの阿弥陀堂で自殺、胤房に攻められていた志摩城の胤直も8月15日、東禅寺に走り自殺した。胤賢は2人の息子実胤・自胤を連れて城を脱出、南の小堤城(現在の横芝光町小堤)に入ったが9月7日に小堤城も陥落、胤賢も自殺した。2人の息子は八幡荘(現在の市川市)に逃れた。