山内上杉家11代当主
40年以上にわたって関東管領を務めた

上杉 顕定うえすぎ あきさだ

管領塚

管領塚史跡公園(顕定の墓)

  ポイント

  • 越後上杉家出身の山内上杉家11代
  • 関東争乱期の中40年以上にわたって関東管領を務めた
  • 長森原の戦いで破れ自害する

誕生・死没

  • 誕生:1454年
  • 死没:1515年
  • 享年:57歳

名 前

  • 龍若(幼名)
  • 可諄(号)
  • 四郎(別名)

官職・役職

  • 幕府:関東管領、上野、武蔵、伊豆守護

親 族

  • 父(実父): 上杉房定(越後上杉家)
  • 父(養父): 上杉房顕
  • 兄弟 : 上杉定昌(実兄弟)
  • 兄弟 : 上杉房能(実兄弟)
  • 兄弟 : 蘆名盛高正室(実兄弟)
  • 兄弟 : 畠山義元室(実兄弟)
  • 兄弟 : 積翠院(伊達尚宗正室)(養兄弟)
  •  子 : 高山重純正室
  •  子 : 上杉顕実(養子)
  •  子 : 上杉憲房(養子)

略 歴

1454年…越後上杉家・上杉房定の子として誕生する
1466年…山内上杉家・上杉房顕が死去したため、山内上杉家の家督を継いで当主となる。
1471年…古河公方・足利成氏の古河御所を占領する。
1476年…有力家臣・長尾景春が古河公方に寝返り挙兵し五十子城を包囲する(長尾景春の乱)
1477年…五十子城から撤退する。さらに足利成氏軍が山内上杉領に攻め入る
1478年…追い詰められた山内上杉家と扇谷上杉家は古河公方と和睦。長尾景春の乱は、扇谷上杉家家臣・太田道灌によって鎮圧される(扇谷上杉家が山内上杉家に代わる台頭勢力となる)
1482年…顕定の父・坊定の仲介で幕府と足利公方が和睦(30年に及んだ承徳mp乱の終結)。
1487年…山内上杉家と扇谷上杉家による争いが起きる(長享の乱)
1493年…伊豆国が伊勢宗端(後の北条早雲)によって乗っ取られる
1494年…足利政氏の弟(後の上杉顕実)を養子として迎える
1497年…河越城に対する前線基地として武蔵上戸に陣を置く
1504年…扇谷上杉・今川・伊勢の連合軍と戦うがこれに大敗する。(立河原の戦い)
1505年…山内上杉家の勝利に終わり、長享の乱の終結(実家の越後上杉軍の援軍を受けて反撃に転じ、扇谷上杉家の河越城を攻めて降伏させる)
1509年…実弟・上杉房能の報復として越後に侵攻し、長尾為景と上杉定実を越中国に追放する
1510年…長尾為景に反撃にあい、「長森原の戦い」で敵の援軍・高梨政盛に敗北し、自害する。