安房里見家の初代当主
安房国を支配し里見家の基礎を築いた

里見 義実さとみ よしざね

里見 義実

  ポイント

  • 安房里見家初代当主
  • 結城合戦に破れ安房国に逃げる
  • 享徳の乱で長尾実景・憲景父子を殺害
  • 南総里見八犬伝の登場人物

誕生・死没

  • 誕生:1412年
  • 死没:1488年
  • 享年:76歳

名 前

  • 不 明

所 属

官職・役職

  • 不 明

親 族

  •  父  : 里見家兼
  • 兄弟 : 里見家氏
  • 下記は「成義」実在説
  •  子  : 里見成義 (架空?)
  •  子  : 中里実次
  • 下記は「成義」架空説
  •  子  : 里見義富
  •  子  : 里見義通
  •  子  : 里見実堯
  •  子  : 東条実倫
  •  子  : 里見義正 室
  •  子  : 鳥山時貞 室
  •  子  : 堀内政兼 室

略 歴

1412年…里見家基の子として誕生する
1438年…享徳の乱が勃発
上杉側の長尾実景・憲景父子を殺害
1440年結城合戦で上杉家に敗れる父・家基が死去
安房国に逃げる
1440以降…安西氏など安房国の豪族を倒し安房国を平定する
1486年…稲村城の築城を開始する
1488年…死 去

概 要

里見家兼の嫡男として誕生する。結城合戦で父・家基と兄弟の家氏が討たれると、義実は相模の三浦から海上を使い安房の「白浜」に渡り落ち延びたとされている。
安房に逃げ込んだ義実は「安西」、「丸」「神余」、「東条」といった豪族の抗争に乗じ、白浜城を本拠とする安房一国の支配者になった。
その後、義実は城を稲村城に移した。

安房国入国の謎

義実の安房入国の経緯については諸説ある。
1.
結城合戦後の文安年間に少数の家臣に守られて相模の三浦から海上を使い安房国入国して安西氏を頼り、その後神余氏を下克上した山下定兼を討伐して人望を集めて丸氏・東条氏を屈服させ、やがて驕慢になった安西氏を追放して安房を平定した。その後、足利成氏に招かれて仕えた(旧来の通説)。

2.
足利成氏に仕官後、安房国の鎌倉府領の代官をしていたが、享徳の乱で成氏と上杉氏が対立すると、義実が同国の守護であった上杉氏とこれに従う国人の所領及び彼らの管理下にあった国衙領を接収した。

3.
享徳の乱で武田信長とともに房総半島の上杉側国人を討伐する過程で安房国に割拠した。

4.
義実を架空の人物として義実の孫(あるいは子か)である里見義通の代に里見氏が安房を平定したとする説

そのいずれが正しいかは不明であるが、安房里見氏が享徳の乱の際の関東管領上杉憲忠の殺害に関与した事、朝夷郡(朝平郡)の白浜(現在の南房総市)を根拠として国内の反対派を抑えて安房国内の中心部であった稲村に進出したと見るのが現在の通説である

里見八犬伝

里見義実の安房入国伝説を基にして、江戸時代に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって書かれたのが、『南総里見八犬伝』である。
なお物語りの始まりは結城合戦の際に父親と一緒に結城側で戦った里見義実が、死を決意した父親と別れて落ち延びるところから始まる。

里見八犬伝とは安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である