浪岡北畠家10代当主
津軽家によって滅亡させられる

浪岡 顕村なみおか あきむら

浪岡城跡

浪岡家の本拠地・浪岡城跡 画像提供元:お城めぐり FAN 様

  ポイント

  • 浪岡家10代当主で最後の当主
  • 安東愛季の娘を正室にもつ
  • 滅亡後は津軽家によって自害させられとも落ち延びたとも言う

誕生・死没

  • 誕生:1555年
  • 死没:1578年?1602年?
  • 享年:28歳?

名 前

  • 具愛(別名)
  • 浪岡御所(通称)
  • 三郎兵衛(通称)

所 属

官職・役職

  • 無し

親 族

浪岡貝運
安東愛季の娘(慶松院)
浪岡顕佐の正室

略 歴

1555年…浪岡具運の子として誕生する
1562年…川原御所の乱が勃発し、貝運が暗殺されるとその後家督を継ぐ。
1578年…津軽為信に本拠の浪岡城を攻め落とされ。自害させられる(安東家に落ち延びたとも)

生 涯

1555年、浪岡具運の子として誕生。

1562年になると川原御所の乱が勃発し、貝運が暗殺されると叔父である浪岡顕範に後見人になってもらい家督を継ぐ。
しかし、1578年に南部家に反旗を翻した津軽為信に本拠の浪岡城を攻め落とされる。
この時捕らえられて自害させられたとも、落ち延びて舅の安東愛季を頼り、1604年に死去したとも言われている。

子孫は三春藩の秋田家に仕え、代々秋田の姓を名乗ったが、隠居や庶子は浪岡の姓を名乗ったという(三春浪岡氏)。