蠣崎松前6代当主父に先立ち他界する

松前 盛広まつまえ もりひろ

 

 ポイント

  • 蠣崎慶広の長男
  • 蠣崎松前6代当主
  • 父に先立ち他界する

誕生・死没

  • 誕生:1571年
  • 死没:1608年
  • 享年:38歳

同年代の人物

名 前

  • 松房丸(幼名)、守広(初名)、

所 属

官職・役職

  • 官位:従五位下若狭守

親 族

  •    父  : 蠣崎慶広
  •    母  : 村上季儀娘
  •  正 室 : 下国直季娘
  •  兄 弟 : 喜庭直信室
  •  兄 弟 : 松前忠広(弟)
  •  兄 弟 : 松前利広(弟)
  •  兄 弟 : 松前由広
  •  兄 弟 : 松前次広
  •  兄 弟 : 松前景広
  •  兄 弟 : 松前安広
  •  兄 弟 : 松前満広
  •  兄 弟 : 下国広季室
  •  子 : 松前公広
  •  子 : 松前由広

略 歴

1571年 1歳  蠣崎慶広の長男として誕生
1600年 30歳  家督を相続
1601年 31歳  従五位下・若狭守に叙位・任官
1604年 34歳  松前藩が立藩
1608年 38歳  死 没

概 要

 蠣崎松前家6代当主。慶広の子。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁した。その後、松前藩2代藩主となるが、父に先立ち病死した。。

出生と家督相続

 1571年、松前藩初代藩主・松前慶広の長男として誕生。
 豊臣秀吉の死後、父・慶広と共に徳川家康に臣従した。その後1600年に家督を継承するが家中の実権は父・慶広が握ったままだった。

死 没

 1601年に従五位下・若狭守に叙位・任官さらに1604年に幕府より黒印制書を受け松前藩が成立した際も、政務は依然として慶広は執り行っていた。
 そして1608年1月21日に父に先立って死去した。享年38。
 その後松前家は盛広の長男・公広が慶広の世子となって家督を継ぐこととなった。