山内上杉家の重臣だが上杉家が衰退すると北条家に近づき親戚関係になる

藤田 康邦ふじた やすくに

藤田康邦の墓

  ポイント

  • 山内上杉家の重臣
  • 武蔵天神山城、花園城を支配
  • 山内上杉家の衰退後、北条家に接近し、北条氏邦を養子に迎える

誕生・死没

  • 誕生:1513年?
  • 死没:1555年
  • 享年:42歳?

名 前

  • 重利(初名)
  • 泰邦(別名)
  • 安国(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位:右衛門佐

親 族

  • 子 : 大福御前(北条氏邦正室)
  • 子 : 用土重連
  • 子 : 藤田信吉

概 要

関東管領である山内上杉家の重臣で、武蔵天神山城た花園城を支配。
山内上杉家が河越夜戦で破れ勢力が衰退すると北条家に接近し、北条氏康の三男。氏邦を娘婿として藤田家を継がせた。娘の名は大福御前とも伝わっている。その後、用土城に移り自らは用土氏を称す。

康邦の息子たち

康邦の子には用土重連や藤田信吉がいたが、彼らは北条氏にとっては邪魔な存在であり、重連は沼田城代に任じられたものの氏邦に毒殺され、信吉は武田勝頼に寝返っている。

参考資料(引用元)

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