【2021/5/21】
主君・義重の命により、佐竹家譜代の家臣・人見氏の名跡を継ぐ人材登用などの内政に手腕を発揮し、。和田昭為、小貫頼久とともに佐竹家三奉行に名を連ねた。
小野崎氏(従四位下鎮守府将軍藤原秀郷を祖とする武門で、代々常陸国守護代)の出身であるが、佐竹義重の命により佐竹氏譜代の人見氏を相続した。
義重・義宣の2代にわたって内政に手腕を振るった他、和田昭為・小貫頼久と共に奉行を務め、「佐竹三奉行」の一人に数えられた。 また、人材登用に手腕を発揮し、小田原征伐で所領を失って浪人した渋江政光や梅津政景ら有能な人材を登用するなど、後の久保田藩を支える政治組織の形成に貢献した。 しかし、1600年、関ヶ原の戦いの直前に36歳の時に急死した。
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