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【マンガやドラマでよく聞く「首実検」ってなに?】
「首実験」とは?
戦国時代、合戦中に相手を倒した場合、その首を切り取るものがならわしだった。そして首がある程度集まったところで行われるのが「首実験」であった。
化粧を施した首を首台と呼ばれる板の上に並べて皆で一覧するという儀式である。
この儀式には死者を慰霊するとともに、戦の勝利を確認する意味も含まれており、様々な作法やしきたりがあった。
首にもランクがあった?
もちろん首ならなんでも言い訳けでもなかった、名もない雑兵や足軽の首より大将や重臣クラスのほうが、首とりの意味ははるかに大きかった。
さらに、戦った相手の首でないと首の価値は下がり、逃げる敵を追いかけて討ちとった首(追首)は評価が格段に低かった。
首化粧は女の仕事?
泥やほこりまみれの戦いで討ち取った首は相当に汚れている。
髪はボサボサ、顔は血まみれでどんな顔か見分けがつかないことすらあったという。そのため、水でキレイに洗ってから差し出すのが、ひとつの約束事になっていた。
洗う係りは、基本的に女性。従軍婦や武将の子女、それに売春婦の御陣女郎。彼女たちが首をキレイに洗い、髪を整え、顔に白粉をはたき、口に紅をさした。名のある武将に関しては口をこじ開けお歯黒まで施したという。
死後も決まっていた身分差?
首化粧の済んだ首は、ひとつひとつ首台に乗せられて運ばれた。生前の身分の高さによって、この板の質や大きさが違ったという。
大将首の場合は、檜の板を使用し、一尺二十四方(40cmくらい)に四寸二分(130cmくらい)の足がついたという。有力家臣の首は六寸四方、厚ささ6分、高さ二寸の足がついた首板にすえられた。身分の低い足軽等は1箇所に集められるだけだった。
首には「誰が討ちとった、誰の首」と書かれた木の札が下げられたが、これも大将は桑の木、有力家臣は杉か椿の木で作られるという違いがあった。
また首実験に臨むときは、実戦にでるときと同じ姿をしていた。首を奪いとる敵に備えるという意味と正装で臨むという礼儀の表れであった。
首は大将たちが並ぶ前に運ばれ、誰が誰の首をとったかという報告をする。戦功を認めてもらうチャンスゆえ、武将達も心して臨んだと考えられる。
首実験が終わったら
首実験がすむと、首は棺桶に入れられて、敵に送り返した。場合によっては、そのままさらし首にされることもあった。
関ヶ原の戦いの祭、家康は、床机(椅子)で西軍兵士の首実験を東西2箇所に首塚を作って葬ったという。
大阪夏の陣では、藤堂高虎が常光寺の廊下に400人余りの首を並べるという大掛かりな首実験を行った。