関東管領・山内上杉氏の本拠地

平井城・平井金山井城ひらいじょう・ひらいかねやまじょう

平井城址公園 群馬県藤岡市西平井


1.城データ

築城年

  • 1438年

築城者

  • 山内上杉憲実?長尾忠房?

別名

  • 特に無し

天守構造

  • 不 明

城郭構造

  • 平城(平井城)、山城(平井金山城)

遺構

  • 曲輪、土塁、堀ほか

比高

  • 3m(平井城)、160m(平井金山城)

主な城主

廃城年

  • 1550年頃?

概 要

群馬県藤岡市に所在した山内上杉家の本拠地。1438年に勃発した永享の乱の際に関東管領山内・上杉憲実が長尾忠房に命じて築城させた城。
その後、北条氏康に攻め落とされ、関東管領・上杉憲政は越後国の長尾景虎(後の上杉謙信)のもとに逃れた。
のちに上杉謙信によって奪回されたが上杉家が再び平井城に入城したかどうかは不明である。

立 地

神流川の支流鮎川の西岸の台地上に構築された城で、西・南を丘陵に囲まれ、東は鮎川を隔てて丘陵が立地する盆地状の要害地にある。

規 模

本丸・二の丸・笹郭を中心に、その北に新郭・三の丸などで構築されている。
「庚申堀」と称される堀をめぐらし、西平井の村落を取り組んだ「総構え」と呼ばれる構造で、城域の南端部の鮎川左岸の切り立った崖の上に、土塁及び堀により区画された”本丸”があり、その西側に”二の丸・笹郭”などが配置されている。
城の背後には有事の際の要害城である金山しろを「詰めの城」として配置し、周囲は帰属する国人や配下の武将が築いた多くの城や砦が築かれていた。

築城の経緯

平井城は1438年に勃発した「永享の乱」の際に、当時の関東管領・上杉憲実(山内上杉)が、総社(蒼海)の長尾忠房に命じて築城させたとされる説と、1467年に上杉顕定が築城したとされる説がある。通説では前者とされている。

廃 城

1552年、北条氏康に攻め落とされ、時の平井城主の関東管領上杉憲政は周辺の上野国人勢力が北条に寝返っていたため。越後国の長尾景虎(後の上杉謙信)のもとに逃れた。
奪回されて再び上杉本拠地となることを恐れた北条氏が、落城前に城郭を破却たと言われている。

平井金井城

平井城の西南1km、標高290mの金山山頂に構築された山城で、この城は、天文期の戦乱の中で、平井城の詰めの城として構築されたと考えられる。
金山山頂の東西に走る馬蹄形の屋根筋と、これに直行し樹枝上に北に伸びる尾根筋に連続した郭群からなる連郭式の山城として東西300m、南北400mにわたって構築されている。

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