低落していた宇都宮家を建て直し 「宇都宮氏の中興の祖」と呼ばれる。

宇都宮 成綱うつのみや しげつな

宇都宮城 跡

宇都宮氏居城「宇都宮城」

  ポイント

  • 宇都宮氏17代当主
  • 低落していた宇都宮氏を立て直し、宇都宮氏の全盛期を築く
  • 重臣から何度も下克上を計られるが、家を守り切る

誕生・死没

  • 誕生:1468年
  • 死没:1590年?
  • 享年:49歳

名 前

  • 入道継岩
  • 沙弥長胤(法名)
  • 弥四郎(通称)
  • 宇都宮氏中興の祖(あだ名)

官職・役職

  • 官位:正四位下、下野守、右馬頭
  • 役職:下野守護

親 族

  •  父  : 宇都宮正綱
  •  母  : 石塚義親の娘/li>
  • 正 室 : 正室:那須資親の娘
  •  子  : 宇都宮忠綱
  •  子  : 瑞雲院(足利高基妻)
  •  子  : 玉隣慶珎大姉(結城政朝妻)

略 歴

1468年…宇都宮正綱の嫡男として誕生
1478年…10歳の若さで家督を継ぐ
家臣が叛乱を起こすが、これを武力もって鎮圧する。
1488年…重臣であり成綱を補佐していた・芳賀高益が死去する
1491年…鹿沼氏を討ち、鹿沼地方を手中に収める
1497年…重臣・芳賀景高が死去し、家督を継いだ、芳賀高勝と確執が生じる
1503年…塩原の地を巡って会津の長沼氏と蘆名氏と対立する
1506年…古河公方の争い(永正の乱)に伴い、娘婿の足利高基が宇都宮に逃げ込んでくるのを保護する
重臣・芳賀高勝はこれに反発し両者の溝が深まる
1509年…塩原で蘆名家と合戦が勃発(片角原の戦い)。これに勝利し塩原地方は完全に宇都宮領となる
1510年…対立していた重臣・芳賀氏の粛清討伐を決意する。
1511年…成綱と芳賀高勝の争いが激化し、武力衝突にまで発展し、成綱は高勝の謀略によって強引に隠居させられる。
1512年…嫡男・宇都宮忠綱が家督を継ぐが(実権は成綱が握っていた)
対立していた。芳賀高勝を謀殺し、芳賀家が大反乱を起こし、成綱は芳賀氏側の重臣の城館を一斉に攻撃する(宇都宮錯乱)
1514年…成綱・忠綱を頂点とする新体制に芳賀氏を取り込み、約2年間続いた、宇都宮錯乱及び、永正の内訌は収束した。
足利政氏の呼びかけで佐竹氏・岩城氏・那須氏が下野に侵攻し、宇都宮軍を破るが結城氏の応戦もあり撃退する。(竹林の戦い)
1516年…再び佐竹氏と岩城氏が大群を率いて下野に侵攻するが、これを嫡男・忠綱が出陣し撃退し、壊滅的な被害を負わせる(縄釣の戦い)
この合戦で勝利した宇都宮家は北館のの覇者たる存在にたつ
宇都宮城内で死去(享年49歳)

出 自

の宇都宮正綱の嫡男として宇都宮城で誕生した。母は常陸国佐竹氏の一族である石塚義親の娘。父・正綱は芳賀盛高の子で芳賀高益と兄弟だと伝えられてきたが、近年の研究では、正綱は宇都宮等綱(14代当主)の次男で宇都宮明綱(15代当主)の実弟とする新説が浮上した。
綱が生まれた時には京では応仁の乱の最中であり、関東でも享徳の乱の最中であり、戦国の乱世の幕開けの時だった。

家督相続

1477年、父の正綱が死去すると、成綱は10歳の若さで家督を継いだ。家督を継いだ成綱は小山氏の名将小山持政が没した混乱に乗じて、小山領の都賀郡などを侵攻するなど、幼いながら器量の高さを遺憾なく発揮し、宇都宮氏は瞬く間に勢力を盛り返している。
しかし、重臣である武茂氏が成綱の家督就任を不満に重い、成綱と成綱の出自先の芳賀氏に対して叛乱を起こす。