兄・正村と共に水谷家を下館藩主へと成長さえた

水谷 勝俊みずのや かつとし

下館城

居城:下館城

概 要

結城家臣。下館藩(茨城県筑西市)初代当主。兄・正村と共に結城晴朝に従い功績をあげる。結城家が越前に転封になると独立大名となり下館藩を発展させた。

  ポイント

  • 兄・正村と共に結城家を支える
  • 独立大名として下館藩主となる

誕生・死没

  • 誕生:1542年
  • 死没:1606年
  • 享年:65歳
  • 茨城県筑西市岡芹の定林寺

名 前

  • 弥五郎(幼名)
  • 方休(号)

官位・役職

  • 従五位下、伊勢守、兵部大輔、右京大夫

所 属

親 族

水谷治持
正室 堀田正吉の娘
兄弟 正村勝俊
勝隆

略 歴


1542年 0歳  水谷治持の次男として誕生
1585年 43歳  兄・正村と共に下野国田野城を攻略
1592年 50歳  文禄・慶長の役
1600年 58歳  関が原の戦いで東軍に属す
1606年 65歳  死没


誕生と家督相続

1542年、水谷治持の次男として誕生。1566年、兄・正村と共に結城晴朝に従って上杉謙信と戦った。1569年には正村が出家し隠居したため家督を継いだ。

結城家での戦歴

1585年には正村と共に下野国田野城を攻略、下野方面に勢力を広げた。
小田原征伐後、正村・勝俊は結城氏の与力大名となった。この時、晴朝の養子に徳川家康の次男・秀康を迎える話が出た際には、正村と家康の間にかねて親交があった事から、勝俊が徳川氏との交渉に加わっている。
1592年の文禄・慶長の役では肥前国名護屋城に駐留した。

関が原合戦後

関が原合戦

1600年、関ヶ原の戦いが始まると、勝俊は徳川家康の家臣・皆川広照の従兄弟だったため、東軍に属した。

下館藩主

関が原戦後、勝俊は下野において佐竹義宣を牽制した功績を賞されて所領を安堵され、秀康が越前国北ノ庄に転封されると正式な独立大名となった。代わりに甥・正慶が秀康に仕え、越前移封に従っている。

その後、1606年6月3日、死去。享年65歳であった。
水谷家の跡は長男・勝隆が継いだ。